「 鏡 」


我が塾にはたくさんの鏡がある。
全身が写せる大きな鏡から、顔だけが写る小さなのまで、さまざまである。稽古場は勿論、廊下を歩いていてもどこかに自分の姿が写っている。
こういうと、「なるほど、さすが劇団ですね」と人はおっしゃる。たしかにこれは、俳優たちが常に自分の姿を見て欠点を直すのに役立つ。が、本当は単に俳優だけの為ではないのである。
人は鏡を見る時、必ず心に何かを感じる。「あ、いやな顔してる」「つかれた顔だな」「軽薄だな」「気むずかしい顔して」などなど ―― 。
何かで腹を立てている時、鏡を見ればそこには怒った険しい顔が写っている。嬉しい時には生き生きとした明るい顔が写っている。鏡は形だけでなく、心をも正直に写しだしてくれるのである。
人間の心は実にさまざまに動く。鏡を見て、はっと気づかされて恥かしい思いをすることもしばしばある。又、いつもこんな顔でいられたらと思うこともある。そしてどんなに腹を立てている時でも、鏡の中の自分をじっと見つめていると次第に心が落着き、平静を取り戻すことが出来る。「鏡を見て自らを知り、知ることによって為すべきことがわかる」 ―― のである。
かつて、或る下町の、いわゆるドヤ街の真中にある診療所での話だが、表のガラス戸がしょっちゅう割られるのだ。喧嘩と、酔っぱらっての上のことがほとんどだが、あまり度重なるので困り果てた女医先生が考えた。そして思い切ってそのうちの一枚を鏡にしてみたのである。すると不思議なことに他のガラス戸は相変らず割られる中で、その鏡の戸だけはまるでぬけ出したように、ただの一度も割られることがなかった。

古代、鏡は信仰の対象であったが、現在(いま)も尚、何かを教えてくれている。