『自然はえらいねぇ』


六月下旬から咲きはじめた相国寺様のお池の蓮が、今まさに真っ盛りです。
他の花のように色数こそ多くありませんが、それでも紅蓮、白蓮、そして黄味や青味を帯びた蓮たちと、それぞれの趣きも鮮やかに、豊かに、でも静かに咲いています。
お池の面(おもて)だけでなく、廻りにもぐるっと大きな鉢が並んで、見事です。
未草(ひつじぐさ)ともいわれる睡蓮のように、朝開いた花が午後三時ごろ(未の刻)にはおおかた花びらを閉じてしまいます。そして翌日、また花を開くのですが、三日目になるともう閉じる力が無くて、そのままはらりはらりと花びらを落していきます。
時折り、花びらを開いたまま、散る時を待っている蓮を見ると、なんとなく切なくなります。でも花は、花としての使命を終えて散るのですから、満ち足りているはずです。感傷的に観る自分の方がおかしいことはわかっているのですが ―― 。これも人間のおごりでしょう。

かつて、永平寺の管長様で百四才でいらした老師様が、「自然はえらいねぇ。誰もみていなくても、咲く時が来たら黙って咲いて、散る時が来たら黙って散っていく。ほんとに自然はえらいねぇ」とおっしゃったことがあります。
同じ言葉でも、このようなお方がおっしゃるとほんとうにそのままに、有難い思いで享けとることが出来ます。今の修業よりはるかに厳しい修業をずうっと積み重ねて来られたお方の年輪の凄さといっていいのか、おだやかなお話しのなさり方の中に、言葉では説明できない真実の存在を無条件で感じさせていただきました。
今もその時の感動感銘は鮮烈に心の中に在ります。
「立派な御方」というのは、自分が知らないだけで世の中には沢山いらっしゃるのだと思います。
そんなお方に、そのお言葉に、そのお心に、出逢えることが何よりの宝と、今生きているものの得られる最高の珠玉のような宝だと思って居ります。

こんなことを思い返させてくれる相国寺様のお池も亦、かけがえのない素晴らしい処です。