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『 おこし下さい 』

雲一つない青空 ―― この言葉にぴったりのお天気が続いています。
ここしばらくすっきりとしたお天気の少い秋でしたが、やっと「あゝ、秋の空」と思える昨日今日です。
おさだ塾では今、十二月の「小さな小さな発表会」の準備に入っています。日頃、なにかとお世話になっているお方、家族、友人など、近しい方々をお招きしての、ささやかな発表会です。
この発表会は塾生たちだけで考え、脚本を書いたり演出したり、お互いか切磋琢磨しながらのびのびと学ぶ楽しい機会です。
「知りあいの方」といいましたが、おさだ塾をご存知で、少しでも興味の持って下さるお方なら、どなたでも大歓迎です。
日時は十二月十七日(日)午後二時から、一時間半くらいのミニ発表会です。
寒い時季になりますが、お茶とお菓子で暖まっていただきます。本当にささやかな会ですが、お一人でも多く御参加下さることを心から希望して居ります。ぜひぜひ御来塾下さい。出来れば事前にお電話いただければ尚、嬉しいです。塾生一同、諸手をあげてお待ちして居ります。

十一月十一日(土)、向日市朝堂院遺跡での公演の稽古も日に日に熱を帯びて来て居ります。寒い稽古場も塾生の熱気で熱くなります。
多少しんどくても、仕事があること、そして目標をもって稽古が出来ることは、最高の幸せです。
「どうして自分から苦しい道を選ぶの」と、よく人さまにはいわれる仕事ですが、やっぱり稽古をしている時が皆、一番輝いています。「楽は苦の種、苦は楽の種」 ―― 昔の方はなんでもよく見てられますね。

これからいよいよ寒さに向かいます。どうぞお風邪など召しませんように ―― 。

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『 御礼 』

ありがとうございました。
第四十三回、秋の「町かどの藝能」公演を無事おえることが出来ました。「無事」といいましたが、初日から雨にたたられた、とてもややこしい公演でした。曇り空ながら、なんとかいけるかな、と思っていると急にパラパラと降って来たり、降りそうだなと思っているとぼんやり日が射して来たり ―― 。
そして最終日、とうとう朝からの雨になりました。小さな劇場公演の出来る稽古場のお蔭で、お客様には舞台上での藝能をお楽しみいただけました。とはいえ年に一度の野外公演を楽しみにして下さっているお客様方には、本当に申し訳ない、不本意な展開をせざるを得ませんでした。心より、深く深くお詫び申し上げます。
来年は必ずやいいお天気に ―― 、とはいうものの、やはり大自然には従うしかありません。それでもなんとか考えて、工夫して、努力して、今回よりもっともっと楽しんでいただける方法を考えておかねばと覚悟して居ります。どうぞ今後ともおさだ塾を応援、御援助いただけますことを、心よりお願い申上げます。

明日からは又、来年に向かって、又、十一月十一日の向日市での「町かどの藝能」公演に向けて、改めて前進致します。その日の晴れてくれることを祈りつつ ―― 。
有難うございました。

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『 雨降り 』

午後から降り出した雨が、今も静かに降り続いています。
ゴボッ… ゴボッ… 建物と雨が作り出す規則正しい小さな水音が聞こえるだけで、時が止まってたように静かな般若林。今日は稽古も夜までなく、皆、それぞれに外廻りやチケット販売の為に出払っているのです。
こんな静かなひとときは ほんとに稀で、別の世界に来た感じです。久々の本格的な雨降りで、庭の木や草はぐんぐん水を吸いこみ、嬉んでいるのを感じます。「自然はえらいねぇ」とおっしゃった百四才の高僧のお言葉が折りにふれてよみがえって来ます。お天気続きでも雨つづきでも、一言の不足もいわず、全てを黙って受け入れて、自らの生命を全うする木や草たち。

夏の間、チラホラしか花を見せなかった萩が、このごろになって沢山の花をつけ、大きな草叢になっています。般若林に来た当初、何年間も少しも大きくならず 花もつけず、土が合わないのだろうかとずい分心配しました。それがここ二、三年で見違えるほど大きな草叢に成長し、少しずつ花をつけてくれるようになりました。きっと知らない土に植えかえられて しばらくは様子をみていたのでしょう。そしてやっと、ここが自分の生きる場所と、心を決めてくれたようです。これからは年々、沢山の美しい花をつけてくれるようになるでしょう。

外は未だ雨 ―― 。しばらくは止まないようです。

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『 一会 』

相国寺様のお池の名残りの蓮も、とうとうおわりの時を迎えています。蓮の名前の元となった蜂の巣のような花の跡、それらが皆、南へ顔を傾けています。太陽へ向かう植物の本性が、枯れたような蓮にも見られて、これが自然というものなんだなと改めて感じさせられます。
たそがれ刻の蝉しぐれもすっかり影をひそめました。時折りツクツク法師が「 つくづく惜し、つくづく惜し」と鳴くだけ ―― 。でも今日あたりは、それももう聞けないかも知れません。季節はもうすっかり移っているようです。
「暮六つの読経」と私が勝手に名付けている、たそがれ時の鐘楼からの読経の声が、今までよりよく響くようになりました。時たま、おそらく新米さんの雲水さんなのか、たどたどしいお経の聞こえる事もあり、何かと心楽しませてもらえるひとときです。
以前、それこそまだ鐘楼の上でもお経もろくに読めないような新米さん(多分)が居られて、言葉につまりつまり可哀想なような時がありました。先輩にこずかれこずかれされているんだろうなと思えるお経です。鐘楼から降りて来られる姿をみていると、まず作務衣姿の先輩僧らしき方が降りて来られ僧堂の方へスタスタと歩いて行かれました。一寸間を置いて、黒染めの色も鮮やかな真新しい衣を着た方が降りて来られました。急いで鐘楼の鍵をしめ、先輩僧の後を追うその方に思わず声をかけました。「いいお経でしたよ」 ―― 。ドキッとしたような雲水さんに、「心がありました。すらすら流すだけのお経より、ずっと良かったですよ」―― その方は深々と頭を下げて先輩僧の後を走って追っていかれました。「いいお坊さんになって下さるといいな」―― その後姿に思わずそうつぶやきました。
たそがれ時の相国寺様ではいろんな事に、いろんな時に出あえます。いつもいつも私にとって大切な、心うるおうひとときです。

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『 豊かな自然 』

日本のあちこちで、激しい雨や雷の被害が起こって居ます。京都でも、明け方近くによく雷の鳴った日がありましたが、幸い被害は出ていないようで、有難いことでした。
九月一日は防災の日です。関東大震災のあった日ですが、以前は二百十日と言われていました。又、二百二十日という言葉もあります。前にもいいましたがこの日の頃に大きな台風がよく来るから気をつけよ、といった意味でいわれたのです。
近頃は気候まで気が早くなったのか、夏台風というのが多くなりました。八月に起こる台風被害です。
毎年、胸の痛くなる自然災害ですが、大方のものに良い面、悪い面が在るように、自然現象にも二つの顔があるのですね。
それにしても、昔の人々の自然を見る眼の細やかさ正しさ鋭さ、そして深い「愛」にはいつも感動させられています。自然現象にかかわるいいつたえも、たいていはそうした昔の人の知恵と愛で裏打ちされています。古いと一笑には付せない昔の人の観察眼の鋭さ、正しさにはいつも尊敬の念を感じています。

日本は未だ未だ自然の豊かな国です。日本に生まれてよかった ―― いつまでも、そう思える国であってくれることを心から願います。

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『自然災害』

よく思うのですが、京都は本当に災害の少ない町です。
水害とか山崩れとかもあまり聞きませんし、台風が来ても何故か一寸それてくれます。長く王城の地として在ったのも、こんなところに理由の一つがあるのかも知れません。
近頃は二百十日とか二百二十日という言葉も、あまり聞きませんが、昔は誰でもが知っていたし、よく口頭に上る言葉でした。若い方の為に説明すると、立春から数えて二百十日目(九月一日)、あるいは二百二十日くらいに大きな台風がよく来るから気をつけよといった意味で使われたのです。
大きな自然災害というのは何十年、あるいは何百年に一度、ずばぬけてものすごいのがあるのだそうです。でも近頃はしょっちゅうといっていいくらい、あちこちで起る災害を目に耳にします。報道の行き渡ったことで、尚よく見聞きするのでしょうが、自然を無視した人間の行動が惹きおこす災害もよくあります。この季節、よくあるのが台風による被害ですが、或る人によると、もし日本に梅雨と台風が無かったら、日本の国土は砂漠になってしまうとか。その為なら、台風にもあまり文句はいえませんね。
それにしても自然というのは本当に不思議な、そして有難いものです。「上がらない雨はない」といわれる通り、災害が有っても必ず又、修復出来る時間を与えてくれます。
近頃起こる災害には、昔からのいいつたえを無視して、どんなところにでも家を建てたりすることによっての事が多いといわれます。「江とか、沢とか、滝とか、地名に水の関わる名のあるところには家を建てるな」と聞いたことがあります。埋め立てたり、山が削られたり、土地が拡張されて、今は普通の土地になっていても、かつて、そういうもの(水に関わる)の在ったところは、矢張り避けた方がいいという、昔の人の知恵でしょうか。今時、そんなことをいったら笑われるかも知れませんし、「そんなこといってられない」という言も聞こえて来そうです。
でも昔からいわれて来たことには必ず何らかの「わけ」があります。昔の人の知恵にはかなわないと思わされることが今も尚、多々ありますし、いわれて来た事柄には必ず何らかの裏打ちがあるのがほとんどです。現代の文明にばかりたよって、災害が起こってから「あゝ、そういえば ―― 」と後悔しても、起こった災害は決して消せないのですから。
自然への畏敬の念はいつの時代でも持っていなければならない大切な事象の一つでしょう。

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『 夏休み 』

般若林の玄関で カナカナが鳴きました。
ミンミンぜみはよく鳴いていますが、カナカナの声は久しぶりです。もう秋がすぐそこに来ているんですね。
そういえば芙蓉の花も咲きました。暑い暑いといっている夏も、もう間もなく去っていくようです。
八月は出会いと別れの月とおっしゃった方がいらっしゃいます。御先祖様を迎え、送る ―― 。そして季節も又 夏から秋へと移って行きます。子供たちの楽しい夏休みも間もなく終ります。
そういえば、近頃一寸びっくりしたのは、夏休みを「たのしい」と思わない子供がけっこう多いというアンケート結果を聞いたことです。我々のころは 何よりうれしく、たのしいのが夏休みでしたのに、どういうわけなのでしょう。
友達と会えないとかあるのかも知れませんが、そんなのは自分がその気になればいつだって会えます。それとも昔とは「家」の、「家庭」の在り方が変って来ているのでしょうか。あるいは塾通いで忙しいとか ―― 。ともあれ、子供たちが夏休みを楽しいと思えないのには なんとなく可哀想な気がします。
思えば 昔の子供は「勉強しなさい」とはあまりいわれなかったように思います。
食物も医療も、今ほど行きわたっていなかったので、「健康でさえいてくれれば」の思いが強かったのでしょうか。「よく勉強した」なんて記憶は全くありませんし、夏休み中はせいぜい「朝の間」という一寸した宿題をやったくらいのことです。思い出すのは遊んでいたことばかりで、夏休みは「遊ぶ時」でした。
少しは昔の夏休みの気分を分けてあげたいくらいです。「可哀想な今の子供たち」なんていったら、猛烈な反撥をされるでしょうね。お許し下さい。

台風のあとのむし暑さにはうんざりします。秋台風は すぎると涼しくなりますが、夏台風は よけい暑くなるのだとか。
そういえば台風のニュースで一つ気になったのは長寿台風という言葉です。いいことならとも角、悪いことに「寿」とつけるのはいささか「変」― と思ったのですが ――。
なんか気象予報の方に文句をいっているように聞こえるかも知れませんが、私は「お天気予報大好き」人間です。決して気象予報士の方に文句をいっているのではありません。その言葉を「作った」方に、一寸感想を述べたまでです。これも亦、お許しください。

秋の「町かどの藝能」公演まで二ヶ月ばかり、これからがますます忙しくなります。暑さに負けず「いい公演」を楽しんでいただけるよう、全力疾走に入ります。どうぞ一人でも多くの方に足をお運びいただけますことを ―― 。

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『 暑いですね 』

ここしばらくの猛暑つづきに、かなりうだっています。
京都の夏は暑いと、よくわかっているのですが、それでもついぐちをいいたくなる、うっとうしい暑さです。カラッとした真夏の暑さが恋しくなるほどです。
それにしても変な気候というか、梅雨なのかどうかもわかりづらい、いやな近頃です。でも豪雨被害にあわれた方々を思うと、とても愚痴は云えません。
災害の少ない京都に、感謝あるのみです。

「絵本の読み聞かせ」講座へおこし下さる方々は、暑い最中(さなか)にお宅を出て、会場へおいで下さるのですから、そんな時季に講座設定したことが申訳なく思えます。それでもいつも皆様、元気なお顔を見せて下さって、本当に力をいただいています。「この講座をとってよかった」と思っていただけなくては申訳ないと、あらためて感じて居ります。
それにしても梅雨はもう上がったのでしょうか。
むしむしとした夕方近い日差しをみていると、そうも思えませんが ―― 。

稽古の方は一寸みんな中だるみのようで、もう一つ気勢が上がりません。無理もないとは思いつつも、けっこうイライラしています。
般若林のお庭は、今、萩の花が満開です。うっとうしいほど茂った葉の間に、チラチラと紅い花をみせて「こぼれ咲く」にふさわしい様子です。花梨は小さな実をつけています。甲賀市様からいただいた「ろうばい」は、暑い中、葉っぱがしおれて見えますが、それでも元気に大きくなって来ています。
自然がいっぱいの般若林ですが、さすがにみんな一寸「くたびれ」が見えます。それでも自然は力強く涼風の立つのをじっと待って耐えています。我々人間ももうひとふんばり、心をもち直して秋の公演に向けてがんばりましょう。

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『自然はえらいねぇ』

六月下旬から咲きはじめた相国寺様のお池の蓮が、今まさに真っ盛りです。
他の花のように色数こそ多くありませんが、それでも紅蓮、白蓮、そして黄味や青味を帯びた蓮たちと、それぞれの趣きも鮮やかに、豊かに、でも静かに咲いています。
お池の面(おもて)だけでなく、廻りにもぐるっと大きな鉢が並んで、見事です。
未草(ひつじぐさ)ともいわれる睡蓮のように、朝開いた花が午後三時ごろ(未の刻)にはおおかた花びらを閉じてしまいます。そして翌日、また花を開くのですが、三日目になるともう閉じる力が無くて、そのままはらりはらりと花びらを落していきます。
時折り、花びらを開いたまま、散る時を待っている蓮を見ると、なんとなく切なくなります。でも花は、花としての使命を終えて散るのですから、満ち足りているはずです。感傷的に観る自分の方がおかしいことはわかっているのですが ―― 。これも人間のおごりでしょう。

かつて、永平寺の管長様で百四才でいらした老師様が、「自然はえらいねぇ。誰もみていなくても、咲く時が来たら黙って咲いて、散る時が来たら黙って散っていく。ほんとに自然はえらいねぇ」とおっしゃったことがあります。
同じ言葉でも、このようなお方がおっしゃるとほんとうにそのままに、有難い思いで享けとることが出来ます。今の修業よりはるかに厳しい修業をずうっと積み重ねて来られたお方の年輪の凄さといっていいのか、おだやかなお話しのなさり方の中に、言葉では説明できない真実の存在を無条件で感じさせていただきました。
今もその時の感動感銘は鮮烈に心の中に在ります。
「立派な御方」というのは、自分が知らないだけで世の中には沢山いらっしゃるのだと思います。
そんなお方に、そのお言葉に、そのお心に、出逢えることが何よりの宝と、今生きているものの得られる最高の珠玉のような宝だと思って居ります。

こんなことを思い返させてくれる相国寺様のお池も亦、かけがえのない素晴らしい処です。

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『盛夏が待ち遠しいです 』

七月に入りまして梅雨も末期になりました。
京都は例年より雨は少ないように思いますが、降ればゲリラ豪雨のような激しい雨で驚かされます。暑さも極暑と思えるもので、その上に湿度が高く最悪の状態です。早く梅雨が明けてカラッとした暑くても気分のいい真夏になってほしいです。

おさだ塾では秋の『町かどの藝能』の準備と稽古に入っています。今年は十月十三・十四・十五の三日間行います。その日のために演目の事、稽古の事、芸商人の商う商品の事、茶店の事等打ち合わせをくり返しています。来て下さるお客様に如何に心地よく「心の糧」となるお土産をもって帰っていただけるかと、細かく具体的に練っています。

一般参加募集の締め切りは、七月十日です。(少し延長しました)
『町かどの藝能』の芸商人として修業を積み重ねての稽古を終了して十月の公演に参加してもらうのですが、参加された皆さん、「今までに、一度もした事のない体験をした」「自分を見つめる事が出来、新しい自分が生まれたような気がする」等といわれます。今年はどの様な人が来られるかたのしみです。

「絵本の読み聞かせをたのしもう」も三回終わりました。受講生の皆さん、ほんとうに熱心に話を聞き、素直に絵本を読まれて、聞き手の人たち(受講生同士)に自分の心を喜びをもって伝えてられます。真剣ですがとても明い楽しい雰囲気の中で、成長して来てられます。

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