秋の自主公演

町かどの藝能とは

展開いろいろ

「町かどの藝能」とは、長田純先生が三十数年の年月をかけて調査研究され、掘り起こされた江戸時代の商人の芸能のことです。
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 京都新聞に5年半連載(週1本)、又、文化出版局から「町かどの藝能」上下巻として出版されています。(全国図書館選定本となっています)
その中から特に美しいもの楽しいものを選んで、演劇として再現、展開しているのが、ここでいう「町かどの藝能」です。

「あたたかい笑顔をありがとう」「やさしい気持になりました」「商いの心を、人の心をおそわりました」「心が躍りました」「本当の日本に触れさせてもらいました」「こんな活き活きとした人に会ったのは、はじめてです」「生きる勇気がわいて来ました」「明日から、がんばります」「日本人て、いいですね」
これらは、すべて「町かどの藝能」を御覧になった方の感想です。
「町かどの藝能」は、単なる伝統芸能の継承保存ではありません。江戸時代に生きた、京の都の芸商人の再現です。芸商人とは、まず磨きぬかれた芸能でお客さまに楽しんでいただき、満足していただいたのち商いをした商人のことです。その芸商人の生活と、素晴らしい芸能を再現展開するのです。

 水道もガスも自動車もなかった時代。人々は、朝 お天道様がお昇りになる事に感謝をし、掌を合わせて、今日一日の無事を祈りました。それが雨の日であればあったでこれも亦、天の恵みだと掌を合わせました。人々は、日の出とともに、商いに、仕事にと出かけて行きます。まだ朝もやの立ちこめる町かどでは、そんな人々のさわやかで明るい挨拶が、あちこちから聞こえてきます。
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「おはようさんどす」
「おおきに」
「きいつけていっとうくれやす」
「おはようお帰りやす」
こうして人々の朝はあけてゆきます。

 こんな時代に生きた人物を、活き活きと再現する為に、俳優たちはいろんな稽古をします。まず初めに、江戸時代の「命」を預かります。通常の演劇でいう「役」のことですが、つくりものではない、江戸時代に生きた人間の命を自分の心と体で再現するのだという意識をしっかりと持つために、「役」とはいわず「命」というのです。そして江戸時代の生活を、心と体で識り、身につける為に、例えば、着物での生活、昔ながらの京言葉、筆で字を書く、雑巾掛け、水くみ、草鞋ばきで山を歩くなど、江戸時代の人がしたであろう生活を、出来る限り踏み込みます。稽古場に入れば、命を預かった人物(「とき」「弥七」「すず」など)として生活します。当然その中には、師匠、兄弟子、姉弟子、新米などの人間関係も生まれて来ます。心のやりとりもあります。そして、その生活展開の中で、芸能の修行をしてゆくのです(けっして俳優個人では芸能の稽古は行いません)。これらを私達は「陰の生活」と呼んでいます。この陰の生活をできる限り深く、しっかりと踏み込みます。それによって初めて、みせかけでないほんものの人物が、芸能が、生まれてくるのです。頭書のような感想がでるのも、こういう裏打ちが、目に見えない雰囲気となってお客様をつつみこむからなのです。

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 現代のくらしは便利でそして豊にものがあふれています。しかし、人の暮らしは、それだけではなりたちません。心で何かを感じ、そして考え、何かを生み出す事こそ大切だと思っています。だからこそ、今、皆様にこの「ほんもの」に触れていただきたいのです。あたたかい人の心ー「敬う心」「思いやる心」「感謝の心」「他人の幸せを祈る心」「手塩にかける心」などが活き活きと行き交い、そして素晴らしい日本人の知恵が、文化が、生きている「町かどの藝能」にー。そして清潔な感動を通して、何かを考え、その何かを行動にまでたかめていただきたいのです。
この「町かどの藝能」は、かならずや皆様の心にそうした何かを生み出させる大きなエネルギー源になると信じます。

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