おさだ新聞」カテゴリーアーカイブ

『 忙中の閑 』

お彼岸も過ぎたというのに未だ肌寒い日が ―― と思っていましたら、急に温かい日がやって来たり、いったいどうなっているのといいたい気温の変りようです。でも植物たちは確実に春を迎えています。椿の花も二輪咲きました。かつて月心寺さまの庵主さまからいただいた名椿です。紅と白の斑入りの大輪の花で、鉢に植えた方の小さな木などは花の重さが可哀想に思えるほど、沢山の花をつけます。一日一日、どんどん開花がすすむのが楽しみです。

相国寺様の境内を歩いていると「カォ、カォ」と鳴いて、一羽の鷺がお池に舞い降りました。「あれ、前より一寸いい声になったのかな」と思い乍ら池の中を見ておどろきました。鷺の数が増えているのです。一羽、二羽、三羽、四羽、五羽もいました。以前「凄い悪声」と思っていたのは、今帰って来たのとは別の鷺だったのでしょう。
それにしても鳥たちはどうしてこんなに上手にいい棲家をみつけるのでしょう。よその川や池と違って、相国寺様の池は垣根に囲まれていますから、すぐそばに人が近寄ることはまずありません。石を投げたりいたずらをする人を見かけた事もありませんし、いつもおだやかで静かな環境です。雀でさえ、よほど近ずかないと飛び立たないほど、相国寺様に来る小鳥たちはおっとりしています。鷺たちもきっと、「ここは最高」と思っているのではないでしょうか。立ち止まって見ていると、時折り鷺たちもこちらを見ます。(気のせいかも知れませんが ― 。)おしどりの番も二組いて、のんびり泳いでいます。見ているとこちらの心まで、静かに、あたたかくなります。こんな時間が持てる時はそう多くありませんが、今日はとてもいい時間を過ごせました。

さて、稽古の方ですが、なかなかすすまないのはいつも通り ―― とは、本当に情けないことですし、申訳ないことです。直前にならないとエンジンのかからないのんびりやの俳優ばかりで、いらいらしているのはスタッフだけ ―― 。果たして無事初日の幕が開けられるのかと思わされます。でも、少しずつではあっても、進歩して来ている俳優さんもいます。悪い面ばかり見ずにいい面をもっともっと見つけてあげなきゃならないのかも知れませんね。
只、もう一つ心配なのがインフルエンザです。出演してくれる児童の一人が発症しました。今は只、他の誰にも広がらないことを祈るばかりです。
これからいよいよ稽古も追い込みに入る今、全員もう一度心を引き締めて公演当日に向かいましょう。

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『今という時』

私どもの塾では、入門を希望する人に対して審査を行う。といっても落す為ではない。その人がどんな人なのかを知る為の審査である。

人間、一人一人顔が違うように、持っているものがみんな違う。知性も教養も学力も、人柄も情緒も肉体条件も生活環境もみんな違う。その違う一人一人に画一的な教育方法をとっても決して同じようには育たない。まずはその人がどんな人なのかをよく知って、はじめて、その人に適った教育方針が立てられるのである。故に審査は慎重に行う。そして入門を認めるということは、その人を伸ばす使命を、責任を、我々が負うことなのである。
お茶碗とか、道具とか、は、作る過程で失敗しても作りなおしが利く。捨てることも出来る。だが人は、作るのに(育てるのに)失敗したからといって、やり直すことも捨てることも絶対に出来ない。失敗することはその人の人生を奪うことになりかねないのである。だから、私どもの審査というのは、入る人よりも、むしろ指導する側の人間が、この人を育てられるかどうか、自らをはかる審査でもあるのである。

ところで、このことに限らず、世の中には取り返しのつかないことが沢山ある。「このくらい、このくらい」の無理の積み重ねが大病につながったり、一時の感情で人を傷つけてかけがえのない友情を失ったり ―― 。中でも、決して取り返せないのが「時」である。「今」という時は二度とかえって来ない。人と食事をする時も、友と語らう時も、今、こうして何かを書いている時も。 そう思うと この「ひととき」が無性にいとおしく、悔いのない「時」のつみ重ねをせねばとしみじみ思う。
二度とは来ない「平成二十八年」。さまざまな思い出をくれたこの年も、余すところ一月余となった。この年のしめくくりを如何になすべきか ―― 。時の過ぎぬうちに答えをださねばなるまい。

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「 鏡 」

我が塾にはたくさんの鏡がある。
全身が写せる大きな鏡から、顔だけが写る小さなのまで、さまざまである。稽古場は勿論、廊下を歩いていてもどこかに自分の姿が写っている。
こういうと、「なるほど、さすが劇団ですね」と人はおっしゃる。たしかにこれは、俳優たちが常に自分の姿を見て欠点を直すのに役立つ。が、本当は単に俳優だけの為ではないのである。
人は鏡を見る時、必ず心に何かを感じる。「あ、いやな顔してる」「つかれた顔だな」「軽薄だな」「気むずかしい顔して」などなど ―― 。
何かで腹を立てている時、鏡を見ればそこには怒った険しい顔が写っている。嬉しい時には生き生きとした明るい顔が写っている。鏡は形だけでなく、心をも正直に写しだしてくれるのである。
人間の心は実にさまざまに動く。鏡を見て、はっと気づかされて恥かしい思いをすることもしばしばある。又、いつもこんな顔でいられたらと思うこともある。そしてどんなに腹を立てている時でも、鏡の中の自分をじっと見つめていると次第に心が落着き、平静を取り戻すことが出来る。「鏡を見て自らを知り、知ることによって為すべきことがわかる」 ―― のである。
かつて、或る下町の、いわゆるドヤ街の真中にある診療所での話だが、表のガラス戸がしょっちゅう割られるのだ。喧嘩と、酔っぱらっての上のことがほとんどだが、あまり度重なるので困り果てた女医先生が考えた。そして思い切ってそのうちの一枚を鏡にしてみたのである。すると不思議なことに他のガラス戸は相変らず割られる中で、その鏡の戸だけはまるでぬけ出したように、ただの一度も割られることがなかった。

古代、鏡は信仰の対象であったが、現在(いま)も尚、何かを教えてくれている。

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「季の魚」

まぶしい初夏の日差しに銀鱗をきらめかせて、山間の清流に遊ぶ若鮎の姿。優雅でさえあるその姿は、美しい季節の風物詩である。
鮎は前年の冬、川で孵化するとすぐに海へ下る。そして冬を海で過し、翌春三・四月ごろ、水がぬるみはじめると待っていたように川を遡って来る。天敵や公害や、さまざまな障害にはばまれながら、それでも懸命に生まれ故郷の川へ還って来るのである。そしてふるさとの川で一夏を過し、秋、産卵を終えると再び海へ下って行く。
多くは一年で生命を終えるが故に、年魚とも呼ばれる鮎は、薄命の魚故にその一刻(ひととき)の生を最高に美しく、燃焼して生きるのであろうか。
そういえば【あゆ】の語源とされる「零(あ)ゆる」は、脆き生命の意という。
又、鮎という字は本来「なまず」を指し、「あゆ」ではないという。「あゆ」と「なまず」 ― これほど姿形の違う魚も珍らしい。それが何故、「鮎 =あゆ」になったのか。
一説によると神功皇后が【あゆ】を釣り、戦の勝敗を占ったところから「占魚= 鮎 = あゆ」になった(和訓栞)とか、又、鮎(ねん)は年(ねん)に音が通ずる故(東雅)とする説など、さまざまである。
例年のことながら長雨が続くと川は増水する。集中豪雨ともなれば荒れ狂う濁流となって、谷を、野を、町をかけ下る。
この時、鮎たちは狭い岩陰に身を潜め、お腹をぴったりとつけて流されまいと必死に耐え忍ぶ。生への本能とはいえ、あの細い身体で激流にさからうのはどれほど苦しいことか。
六月一日には多くの河川で鮎漁が解禁となる。長雨と共に鮎たちにとっては苦難の季節となる。
釣り人たちよ、どうか戯れに生命をもてあそび給う勿れ。あらゆる生命に、愛と感謝を捧げて ― 。

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『 鯉のぼり 』

五月に入りました。と、同時にゴールデンウイークに突入 ― 。京都の街は、以外と、自動車の数が少なく、静かです。
こゝ、般若林は自主稽古に来た塾生の「声出し」の稽古の声が聞こえるだけで、近隣の中学、高校は休みなので、あたりは静かです。
般若林の玄関の前に植えてある花菖蒲が四輪蕾を開きました。細い軸の先に、深い紫色の花が生きいきと咲いています。はなやかなさつきの花の色とはちがって、花菖蒲の紫は、しっとりとおちついた気分にしてくれます。こゝしばらくは塾へ来られるお客様の心を安らかにしてくれることでしょう。
五月といえば「端午の節句」― 。
晴れ上った五月の空に鯉のぼりが泳いでるのを以前はよく見かけましたが、近頃はほとんど見なくなりました。時折マンションのベランダに子供さんの手作りでしょうか、可愛らしい紙で作られた鯉のぼりがかけられてるのを目にします。端午の節句は男の児のお祭り ― 。鯉のぼりを上げることで、我が子の健康と成長に感謝し、ゆく末ますますの健康と成長、出世を念った親心は大切にしたいものです。

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『 阿 吽 』

相国寺境内にある八幡宮に、時折りお参りする事がある。といっても、わざわざにではなく、通りすがりにといった方がふさわしい参り方である。
社殿の前にはお決まりの狛犬が二頭、「阿」と「吽」が向いあって座っている。阿は口を開け威嚇しているようだが、なんとなく愛嬌があってむしろ可愛らしい。吽は名のとうり、口をギュッと結んでこちらをじっとにらみつけている。如何にも「しっかり者」の感がある。眺めているうちに、ふと、かつて恩師が飼ってられた秋田犬を思い出した。
当時は未だ珍しかった真っ白の毛並みで、頭頂部に丸みのある如何にも秋田犬らしい美しい顔の母犬と、その子供(雄)の二頭である。だいたい秋田犬は吠えないといわれているが、たしかにこの母犬は吠えたことがない。優しい顔と、もの静かなふるまいの、実に落着いたたのもしいお母さん犬だった。
いつの夏だったか、彼女が流しのそばの三和土(たたき)の上にお腹をぴったりとつけ、少しでも涼しいように両手両足を広げて寝そべっていた。そこへ、棚の上のものを取ろうとして、うっかり落としたアルミの鍋が、ガンガラガンガン ―― と。彼女の頭にスポンと、かぶさった。だが彼女はおどろいた風もなく、鍋をかぶったまま、じっとしている。その姿に皆大笑いしたが、それにしても度胸の坐った犬だった。
或る時、母子二頭を連れて運動に出かけた時、子供の犬(八カ月くらい)が何かの拍子に吠えた事があった。途端に母親が子供の背中をガブリと噛んだ。「お前は秋田犬だよ。ほえてはいけない」とたしなめるように。とたんに子供も黙り、恥ずかしそうに(そう見えたのだ)母によりそった。

以前に聞いた話だが、家に泥棒が入った時、その家の秋田犬はじっとその様子を見ていて、泥棒が荷物を持って塀を越えようとした瞬間、ガブリとその足に噛みついて、泥棒を引きずり下した。そしてそのままじっと泥棒の前に座って軽くしっぽをふっている。泥棒がもう一度逃げようと動きかけると又、脚をくわえて動かさない。何度かそんな事をくり返しているうちにとうとう夜が明けて、起きて来た家の人がびっくりしたというのだ。
真偽のほどはとも角、「さもありなん」と思える秋田犬らしいエピソードである。

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『京ことば』

日本は勿論、世界の多くの人々に愛され憧れられる京都。海外から訪れる方もどんどん多くなっているようだ古くから「旅の味の第一は その土地の言葉」だといわれるが、今の京都には美しい京ことばが聞ける場所がほとんど無い。こんな状態で「どうぞおいで下さい」といっていいのだろうか。

京ことばの元が「御所ことば」だということは誰もの知るところである。では、雲上人である公家や女房方(御所づとめの女性)の言葉が、どうして庶民の言葉になったのか。
簡単にいうと、応仁の乱(1467~1477)で京の町が戦乱にさらされ、多くの人が住む所を失った。お公家さん方も例外でなく、行き場を失って、やむなく町の中へ散らばっていった。
町衆にとって今まで見たこともないお公家さんは珍しい。しかもお公家さんのなさること、話される言葉、何もかもが自分たちと全く違う。珍しがって、面白がって、町衆はすぐにその真似を始めた。中でも言葉は誰でも簡単に真似られる。町衆はお公家さん方の言葉を得々としゃべり、楽しんだ。そのうちに、その言葉を用うことで物事がうまく円滑にすすむことに気がつきはじめた。更に人間関係までもが今までよりずっと穏やかに和やかになって行く。喜んだ町衆はますますその言葉を用って、いつか自分たちの言葉にして行った。
一方、お公家さんたちの一部は淀川を下り、浪速へとおいでになった。着いた所が船場である。御存知のように船場は商人の町である。とはいえ未だその頃は商道というか 商人としてのあり方、又、お客へのもてなしなども確立されていなかったらしい。そこへお公家さん方がおいでになったのだ。
商人たちはお公家さん方の美しい立ち居ふるまい、優しい言葉に目をみはった。そしてこれこそが商人としてお客をもてなす最高の態度、言葉だと確信し、すすんでお公家さん方を受け容れ、もてなし、どんどんその態度、言葉を取り入れていった。
そしていつか「船場の嫁は京娘」ということになり、沢山の京娘が船場へ嫁いでいった。
NHKの今の朝のドラマの主人公が京都から浪速の商人に嫁いでいったのもそういったならわしの一端であろう。
そんな京ことばが、今、本家の京都でどんどん消えていきつつある。このままほうっておいていいのかどうか ―― 。
一考も二考もしなければならない時である。

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『京都の山』

京都の北東にそびえる比叡山。そして北西には愛宕山。京都はこの二つの山に守られて、長く王城の地として栄えて来た。
比叡山の中腹に位置する延暦寺は天台宗の総本山であり、「行」と「教学」の修行道場として、今も篤い尊崇の念をあつめている。中でも千日回峰行は汎く知られるところであり、十二年の間、山を降りない籠山行や、教修生を育てる行と教学の実践の場でもある。
伝教大師最澄によって、法華・天台・密教などを融合させた新しい日本の天台宗を確立した延暦寺には、今も千年の法灯が消えることなく守りつがれている。
西の愛宕山は高さでは比叡山に勝る(九二四メートル)
「愛宕」という名稱は、その地で一番最初に朝陽の当る場所を意味するそうで、そういえば各地に愛宕という山がある。
京都の愛宕山は山頂に愛宕神社があり、一般に火伏の神社として知られている。
本宮には伊邪那美命(イザナミノミコト)、そして若宮には雷神(イカヅチノミコト)が祀られている。
七月三十一日の夜には、「火迺要愼」と書かれた火伏せのお札をいただきに、多くの人が山に登る。真っ暗な山に、登山する人たちの灯火が列となって美しい。
戦時中の十二月八日には強い体と精神を養う為と、多くの児童が、愛宕登山をさせられた。
いずれも、京都に生まれ育った者には、なんらかの想い出を持たしてくれた東と西の山である。
申年の年頭、気候はおだやかであったが、世界中どこもが、ざわざわとした幕開けであった。
「動かざること山の如し」といわれるが、たしかに山は変わることなく黙って我々を見守ってくれている。東西の二つの山の他はいずれも標高が低く、「丘」だという人もある。ともあれ、いつ見ても思うのだが、京都の山は本当に美しい。なだらかで、穏やかで、いつどこにいても、ちょっと歩けば必ずどちらかに山が見える。本当に恵まれた、有難い地だと思う。
京都生まれの人間の、ひとりよがりといわれるかも知れないが、自然災害もたしかに少ない。今年も「やっぱり京都はいい」といえる年であってくれることを願おう。

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『南天』

冬がれのさなかに、あざやかな赤い実をつけてくれる南天の木。
植物学的にいうとメギ科、ナンテン属の常緑低木。
驚いたことに、世界中でナンテン属というのはこの一種だけで、和名のナンテンがそのまま学名になっている。だから世界中どこでもナンテンで通るというのだ。正しくは「南天竺」、「南天燭」、「南天竹」などと書くが、「竺」は天竺(インド)から渡来した事を意味する。「燭」、「竹」は漢名で、「燭」は円錐状の花穂の形からというが、赤い花木の少ない冬の南天は、まさに冬の灯火・燭台のように思える。
又、南天の音(ナンテン)が、難転に通じるところから、縁起のよい木としていろいろに用いられる。それも慶事にも仏事にも使えるというからはなはだ都合が良い。
お赤飯などを贈る時にも、必ず南天の葉が添えられているのもその一例であろう。但しその時、気をつけなければならないのは葉の数で、三・五の奇数でなければならない。
又、慶びごとの時は葉の表を上にし、仏事の時は裏を上にして置く。こんな一寸した事も、知っておくと何かの役に立つものだ。
お正月の床に飾る生花に南天が欠かせないというのも、ナンテンの縁起からであろうか。

間もなく迎える新たな年、少しでもおだやかな年であることを切に願おう。

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『ほんものの味を』

おにぎりやおむすびが今日商品になって街中で売られている。けれど、どれもこれも皆「おにぎり」で「おむすび」ではない。日本中のそれを食べたわけではないが、商品としてとても「おむすび」は出来ないだろうと思う。
おむすびとは結びであって、ただ、にぎってかためたものとは違うのだ。だからおむすびは、両掌の中でくる、くるとまわして、御飯つぶがお互いにしっかり結び合うように「まわしにぎり」するものなのである。
御飯と御飯がしっかり結びあってはじめて、お米の ― 御飯の甘さ、おいしさが生まれてくるのだ。それを、手塩にかけ、食べる人に心を寄せかけてむすぶのである。これではじめて、心づくしのおむすびの味が生まれてくるのだ。
このおむすびにする御飯 ― お米を、藁で炊きあげたら、これこそ今日なら最高の贅沢になるのかもしれぬ。併し、昔は、これが普通だった。
ガスや電気で炊くのは便利に違いないが、それではほんもののお米の味は生きて来ない。一度機会があれば、藁炊きの御飯やおむすびを召し上がって、ほんとうのお米の味 ― ほんものの味を味わっていただきたいと思う。
藁と云えば、鰹のたたきも藁火であぶり焼きしないと、ほんとうのたたきの味はないという。
藁が身を燃やして、魚の不要な匂いをとってしまうのである。流石、藁はお米の母、身を焼いてまで役に立とうとしてくれる。人はそれを「藁の匂いつけ」というが ― 。
「町かどの藝能」は藁であり、藁炊きのおむすびである。一つ一つは小さいかもしれぬが、ほんものばかりである。いつか一度は味わっていただきたい。

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