人は誰しも、他人に悪く思われたくないという気持がある。他人との関わりあいの中で生きているのだから当然のことであろう。
しかし、時として、自分が悪く思われても言わなければならないこと、しなければならないこともある。
ある御婦人の母上が、病気で入院なさっていた。手術をされて一ヶ月余り経った時、担当の若い医師が「来週から入浴してもらいますが、週に一回しかいけません」といった。
医師の言葉にひっかかるものを感じた御婦人は考えられた。長い間、お風呂に入れなかった患者にとって、入浴許可が出ることは本当に嬉しいことである。だのに喜びが素直に湧いて来ないのだ。医師の態度からも言葉からも、患者の回復を喜び、励ます心は感じられなかった。本人は思っていたのかも知れないが、少なくとも口から出た言葉はそうではなかった。この時、もし医師が、「来週からお風呂に入れるよ。初めは週に一回だけど、今まで入れなったのが入れるようになったんだからね。それだけよくなったんだよ」―― こう言っていたらどうだろう。同じことを言っても、「入れるけど一回しかいけない」というのと、「一回だけど、入れるようになったよ」では全くちがう。常からぶっきら棒で、患者の気持ちなどあまり関心のないように見える医師だが、それは若さ故に「病」を見るのに精一杯で、「病人」までは見られないのかも知れない。この先、この医師は何千人、何万人の患者に接するだろう。その人たちの為にも、これは言っておくべきだと判断されたその方は、その医師に忠告されたのである。「先生のお言葉一つで、どれほど患者の励みになり、喜びになるかわかりませんので」といって。
これだけ考えられる方だから、きっと医師の心に届くいい方をなさったに違いない。自分の為より人の為に ―― 、なかなか出来ないことをなさったこのような方こそ、「真の勇気ある人」といえるだろう。