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『 祇園さんの神威 』

十七日、奇跡的といっていい状況の中で山鉾巡行が行われました。他所では増水、氾濫、山崩れ ―― 痛ましい被害が相ついでおこっている最中に、京都は何と恵まれているのでしょう。
鉾町の方々なら「これこそが祇園さんの神威」と、胸を張っておっしゃるでしょう。
それにしても、ニュースを見乍ら感心していたのですが、「小雨決行・大雨強行」―― これが巡行の時の決まりごとだとか。「雨くらいへっちゃらですわ」―― おだやかな年配の男性のこの言葉に思わず笑いを誘われました。
降りしきる雨の中をずぶぬれで歩いてられる方、鉾を廻す方、舞われる方、全ての方の真剣さに、このお祭りにかけられる心意気が感じられ、普段とは又違った感慨をもって見守りました。
巡行から戻ればすぐ解体、巡行で集めた沢山の「汚れ」を他へ散らさない為、すぐにとりこわすのだとか。

祇園祭には、私たちの知らないことがまだまだあるようです。

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『祇園祭』

四条通りをはじめ辻々に鉾が立ち、祇園祭の気分が一気に高まっています。毎年巡行の日が晴れてくれるかどうか心配する時期ですが、今年はどうやら台風が来るのが確実らしく、沢山の方々の念いも通じないようです。
この日をめざして京都へ来られる沢山の方々、そして精魂傾けて巡行が無事執り行われるよう精進される鉾町の方々の為にも、晴れてほしいと京都人なら誰もが思うことでしょう。せめて二十四日の後祭りは、順調に行われてほしいと願います。
それにしても一ヶ月、丸々続くお祭りって、他所にもあるのでしょうか。本当に京都らしいというか、気の長い(なんていうと失礼ですが)、悠久の時の流れを越えて来た古都に相応しい、格式高いお祭りです。

ふと空を見ると、梅雨が上ったのかと思えるような、白い雲がむくむくと空高く伸び上っています。そうであったらいいのにと思いながら夕焼け近い空を眺めています。

般若林の庭は沢山の緑が、少しうっとうしいくらい枝葉を伸ばしています。
昔はこういう状況を、「散髪ぎらいの男の子のようだ」と表現したものです。今はそんな男の子はまあ見かけません。それだけみんな、おしゃれになったのでしょう。
紫陽花はすっかり力を無くし、変わって萩が「さあ、自分たちの季節」とばかりにふさふさと枝葉を揺らしています。チラホラ紅い花も見られ、間もなく一面にこぼれ咲いてくれるでしょう。
中庭の桜も楓も柿の木も、濃い緑で頭が重たげです。
大変なのは裏庭です。広場一面草が伸びて地面がほぼ見えないほどの茂り方です。雑草という草はないとはいえ、この草たちを何といえばいいのでしょう。中には子供の頃の遊び相手だった猫じゃらしも見られます。せっかく元気に育っている草たちですが、秋の公演までにはすっかり刈り取らなければなりません。とても人の手だけでは抜けず、毎年何度か草刈り機の助けを借りて、少しずつ整理し、最後は人の手で、公演当日には黒い土の庭になるようにするのです。
未だしばらくは草たちの天下、せいぜい元気に、自分たちの生命を生きていてほしいと思います。
それにしても終日野外劇というのは大変な労力を必要とする公演です。
「何故やるのか」、その意義を忘れては絶対にやれない厳しい公演です。始まった時の“志”を常に胸に抱き、日々公演に向かって歩みをすすめています。

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『可愛いお客さま』

つい先ごろ、塾に可愛いお客さまがありました。
宮崎県綾町 綾中学校の生徒さんです。
修学旅行の研究テーマに“京ことば”を選び、いろいろと調べた結果、KBS京都で京ことばの良さを伝える番組のあることを知り、局に連絡、プロデューサーに連れられて、その番組を担当していたおさだ塾へ来られたというわけです。
かなり前から連絡を受けていましたから、その日を楽しみにしていました。
思った通り、赤い頬っぺの可愛い少女たちでした。
十三才!! 青春の入口にさしかかったばかりの生命の輝き、若さのエネルギーに改めて感動した時間でした。
こちらの話すことを一言一句聞き逃すまいと懸命に耳を傾け、メモをとる指の動きの少したどたどしいのも若さのあかし、プロデューサーにうながされて質問する口調も何もかもが愛らしく、本当に楽しいひとときでした。
来年度から始まる「京ことば講座」は、おそらく経験豊かな人生の達人の方々が多い講座になると思います。十一月のプレ「京ことば講座」にどんな方々が来て下さるか、たのしみです。

相国寺様のお池の蓮が、今、次々と開いています。朝早くから蓮を楽しむ方々がよく来られるそうで、これからしばらくが見頃だと思います。お時間のある方、是非一度、御はこびになっては如何でしょう。どの蓮にも名前がついていて、それを見るのもたのしみの一つです。
白光、 黄玉、 巨椋の曙、 緑の里、 楚天祥雲、 八重茶椀蓮、 仏座蓮、 又「白君子」などという、女性に憧れられそうな名前の蓮もあります。「酔妃蓮」は楊貴妃の、帝を待つ淋しさをまぎらわせる美しい姿を連想させる名前です。
じっくりと見て廻られると、きっと心がやすらぐ楽しいひとときになると思います。

間もなく夏休み。大学に出講している三人も、これからはいっそう稽古に打ち込めるでしょう。
秋の公演が楽しみです。

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荒々しいお天気

梅雨の晴れ間という言葉がありますが、今年の梅雨は本当に「楽」といっていいのかどうか、長く降り続くということがありません。もっともそれは自分の身近な地域に限ってのことで、九州や関東、東北の方々は酷い風雨に苦しんで居られます。どうしてこんな荒々しい気候になったのか、人間の心の荒みがそのままお天気に写されているのでしょうか。長く四季のうつろいを愛でて来た日本人にとって、本当に辛く、哀しく、「何に対して」とはいえないのですが、申訳なさのような思いに駆られます。昔の人が、天災は全て人の招くところと思われた心が、少しはわかるような気がします。おだやかな四季が一刻も早く、戻って来てくれることを念う心でいっぱいです。

さて、間もなく暑い夏が来ます。お陰様で般若林は、夏でもクーラーいらずの素晴らしいところです。それでも二階の稽古場は、南も北も一面ガラス窓、一階の涼しさがウソのような熱風にさらされます。
「町かどの藝能」の稽古には理想的(?)な自然の空気につつまれて、皆、汗を流すことになります。今は未だ何といっても梅雨の中、「この涼しい間に」―― と、時間を作っては稽古に打ち込んでいます。

「絵本の読み聞かせ」講座も少しずつ、どんな相手にどんな気持で話すのか、その為の抑揚や間、強弱など、専門的なことが増えて来ます。受講生の方は皆、意欲的な方々ばかりなので、とても楽しく、又厳しい時間を持たせていただけます。
「教えることは自分が学ぶこと」と、皆、実感しています。
四条センターの皆さんに感謝感謝です。

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『 雨 』

去る六月三日に近畿地方もつゆ入りしたようで、予報通りの曇りや雨の日が多くなりました。これから一ヶ月程、湿度の高いじめじめしたむし暑い日が続くのではないかと思うと、気分も滅入りがちです。
けれど、雨も亦いいもので、しとしと降るやさしい雨を受けて、色鮮やかに咲き匂う紫陽花には、安らぎを覚えます。
般若林の紫陽花も咲き始めて、しばらくたのしませてもらえます。

「つゆ」は「梅雨」とも、又「黴雨」とも書かれていますが、どちらもこの時期のことを、上手くいいあらわしているなあと思います。
もう一つ、「栗花落」と書いて、「つゆり」とよみます。つゆいりの頃に栗の花が落ちて実を結びはじめるからだそうで、事実「栗花落(つゆり)さん」という苗字もあるそうです。

私どもが公演活動している『町かどの藝能』の「蛇の目売り」の唄に、「数え上げれば百八つ・・・・・」と、雨の名前が沢山出て来ます。春、夏、秋、冬それぞれの季節に降る雨、降りそそぐ様子や人のくらしと結びつく雨、雨、雨 ―― 。
雨だけではなく、日本の言葉には状態や、意味、情景などを、きめ細かく、美しく、豊かに表わしているものが五万とあります。日本語はほんとうに素晴らしく、奥が深いと胸を熱くします。

今、十月公演の『町かどの藝能』(四十一)の稽古に入っていますが、湿度の高い日は三味線、太鼓の稽古はひかえなければなりません。たたくと皮がのびてしまうので。
数ある演目の一つ一つをよりきめ細かく研き上げていかなければならないので、初心を大切にしながら、稽古を積み重ねています。

むし暑く、不快指数の高い日もあろうかと思います。大切な御身体です。水分を十分に補給しておいとい下さい。

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『燕』

今年も燕が帰って来ました。
南の国から長い旅路を、元気でよく帰ってきてくれたなとうれしくなります。
去年いた燕が同じ巣へもどって来るのはほんとうに驚きです。よくまあ憶えているものだと感心します。
今年はその巣の隣にも、一つ新しいのが出来ています。
二つの巣には四、五羽の雛が、親の持って帰ってくれる餌を今か今かと待っています。
親燕は帰って来ると、必ず巣の近くで宙返りをします。すると今まで静かだった雛たちが一斉に声をあげ、口をいっぱいに開けて餌をせがんでいます。親燕は片時も休まず、せっせと餌を運んで雛たちをはぐくんでいます。その様子は健気で、いとおしくなります。
三週間もすれば雛たちは成長して、巣立って行きます。親燕は立派につとめを果たすのですね。
燕の世界には「認知症」もなく、親の「子育て放棄」や「虐待」がないのだと、しみじみ思います。

日本列島は火山の爆発的噴火や、海中でのマグニチュード8.1の巨大地震で全国的に揺れています。
「何卒大きな災害が起こりませんように」と念じるばかりです。
『絵本の「読み聞かせ」をたのしもう』の講座は二回目をすませました。全員出席で、皆さん真剣にとり組んでられます。
いつも乍らこちらが教えられることも多く、感謝と共に責任の重さを感じています。

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「緑」ラッシュ。

楓のみどり、あじさいのみどり、かしの新芽、いちょうのみどり、それについこの間まで、何もなかった宮城野の萩が、今はふさふさとみどりの若葉を風になびかせています。皐月の花のあとのみどり葉、さくらの青葉、数え切れないみどりにあふれています。
相国寺様の境内もみどりがいっぱい、雨の前などは息もつまりそうな強烈な匂いに思わず梢を見上げてしまいます。いつも見ているみどりが、それぞれに、強い個性を放って、「同じみどりは無い」という言葉をあらためて思い返しました。
あじさいは間もなく花を開くでしょう。

又、相国寺様の池の端に、大きな蓮の鉢が並ぶようになりました。ついこの間までは無愛想な泥土が見えていただけですが、今は可愛らしい葉っぱがすくすくと伸びています。
七月頃、見事な花が咲きます。それぞれの蓮に美しい由緒ある名前がついていますが、それは又改めてお知らせしましょう。

梅雨までの一寸一服のお便りです。

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五月も半ばとなりました。

「風薫る」「風光る」など、爽やかさを感じさせる風が、五月を表す言葉としてよく使われます。
又、「目に青葉、山ほととぎす初鰹」のように、新緑の季節ともいわれます。
さしずめ、五月という月を色で表すなら緑の月、青の月でしょうか。
昔から、風や雲、雨などにも、いろいろな色をあてて呼ぶことがありますね。
そこで「青風」は五月の風 ―― と思いきや春の風、「黄風」は砂あらし、「朱風」は夏の風だそうです。
では秋の風は「白風」だろうと思いましたら、漢字の用語に「白風」というのはないとのこと、あれっと思いました。
でも日本では「白風」と書いて「あきかぜ」と読んだという例もあるそうで、一寸ほっとしました。

何の為にこんなことを書くのかと思われそうですが、昔の人たちの自然への深い洞察、美しい詩情にふれるたび、心をゆさぶられることがいっぱいあります。
季節と縁遠くなりつつある都会のくらしに慣れてしまわないためにも、常に自然に目と心を向けていたいと思うのです。
それでも私たち京都に住む者は未だ未だ幸せです。東京にいるOBたちは、塾のホームページで自然の様子を目にすると、きれいな水をもらったようにほっとするといってくれますから。

今、塾では「町かどの藝能」の稽古と秋の公演の為の道具の点検・修理、新しい道具や飾りものの製作(斉藤さんが、すごくたのしいもてなしの飾りものを考えているようです。無口なので、あまり言ってくれませんが)、又、「読みの課題」、更には基本的理論の再確認など、日々いろんなことに取り組んでいます。
「絵本の読み聞かせ」講座も、もっともっと充実した、そして楽しい講座にしたいと考えています。

爽やかな五月、塾には常に前進の為の風が吹いています。

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いよいよゴールデンウィークです。

いよいよゴールデンウィークです。
日本列島は国民大移動で右往左往 ―― 。
数かずのドラマがうまれることでしょう。
京都も亦、世界の国々から、日本のあちこちから、沢山のお客さんが来られます。老舗を誇るそれぞれのお店は、おもてなしに趣向をこらしていられるでしょう。

四月、五月といえば春の祭月。
とりわけ京都は古くからの都であるだけに、大小沢山の神社仏閣のお祭でにぎわいます。
中でも五月十五日に行われる京の三大祭の一つである葵祭は今や「日本の祭」として親しまれています。
都大路に平安絵巻がくりひろげられるのも、都として千三百年余の歴史を誇る京都ならではのことです。
先日市民新聞に『近頃の京都人は葵祭の行列を「以前に見ているから」といって見る人が少くなっているが、京都が誇るお祭だから、是非見ていただきたい』と書かれていました。
同一のものを時を重ねて見続けるということは、自分の成長によって見方がちがってきます。心のあり方によってもちがいます。衣裳、道具、細かい飾りつけ等々新しい発見もあるかと思います。
「源氏物語」や「枕草子」その他の文学作品にも葵祭のにぎわいの様子が描かれていて、往時をしのぶことも出来るのではないでしょうか。

小さなお祭では京都の各地域にある氏神様のお祭です。氏子達は年に一度のお祭として大切に守っています。子供たちもお稚児さんやお囃子で参加してお祭をにぎやかにたのしく盛り上げています。
昔は氏神様の境内は子供たちのうれしい遊び場でした。いつも元気な子供たちの声がはじけて湧き上っていました。神様のおそばで、神様におまもりいたゞきながら、安心してのびのびと遊んでいる、ほゝ笑ましい情景でした。
今はというと、子供たちの影も、声もなく、氏子たちの自動車の安息所になっています。

 

いよいよ「絵本の『読み聞かせ』を楽しもう」講座がはじまりました。
皆さん、とても意欲的で勉強熱心です。ものおじせず、しっかり声を出して下さってます。六ヶ月後が楽しみです。

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「絵本の読み聞かせを楽しもう」

桜も散り、いろんな木の新芽が生き生きと天に向かっています。
そんな自然の移り変わりを横目に見ながら塾生たちは今、いろんな絵本に向きあっています。
四月の第四週から始まる「絵本の読み聞かせを楽しもう」講座の為の絵本を選ぶためです。
自分のやりたいと思うものをまず選び、稽古をし、最終的に決定されたものが教材となります。
受講される方は毎回新しい方々ですので、別に前回と同じ絵本でもいいのですが、俳優としてはやはりいろんな絵本を自分のレパートリーにしたいのです。
一度受講された方の中で再度の受講を希望される方も多いのですが、何分受講希望の方が多くて、一度も取れてない方が優先的に選ばれるのです。
「何回申込んでもダメなんです」と、残念がって下さると申訳なくて、もっと機会をふやせればと思うのですが、なかなかそういうわけに行きません。
とに角、お一人お一人全員に、一つの絵本を最後までやれるようになっていただこうと思うと、どうしても人数に制約が出て来ます。
それでもうちの場合は受講される方々を二組に分けて、出来る限り充実した講座になるよう努力しています。沢山の方に来ていただいても中身が薄ければ、それはかえって不誠実になります。全てにいいようにと思っても、なかなか事情がゆるさないのが現状です。

間もなく取りあげる絵本も決まります。受講して下さる方全員に、出来る限り充実した時間をすごしていただけるよう、塾生一同真剣にがんばっています。
大学の授業も始まって居りますし(二つの大学へ非常勤講師で三人、出向いて居ります)、負担も大きいと思いますが、やるべき事の多いのは本当に有難いことです。

清々しい新緑の候も間もなくです。
爽やかな季節を存分におたのしみ下さい。

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