とうとう。。。。

とうとう三月になってしまいました。

とうとうといいたいくらい遅い稽古の上りに、演出陣も指導陣も青くなっています。

のほほんとしているのは俳優だけ。いつもの事ですが、ほんとうにうちの俳優さんはのんびりしています。人間はいいのですが、厳しさの持てないのは困ったものです。「温室だから」とうちを知る皆さんにいわれますが、本当にそうなんでしょうね。

そんな中、季節は刻々とすすんでいます。ついこの間まで枯れほうきのようだった桜の木に芽生いた新芽がいっせいに、しっかりと太陽に向かっています。

庭の椿も紅いの、白いの、淡色に斑に、又、一本の木にいろんな色の椿が咲き誇っています。

昨年、甲賀市様からいただいた臘梅の苗木も、少し背が高くなって来ました。ちゃんと根づいてくれるか、とても心配していただけに、嬉しさも一入です。

間もなく般若林に鶯の声が聞こえて来るでしょう。

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聖天子

「鼓腹撃攘」という言葉がある。
古代中国の伝説上の聖天子、堯にまつわる物語で、人々が不安なく太平を楽しみ、満ち足りて暮すさまをいった言葉である。
堯は帝位につくと、ひたすら天を敬い人を愛し、民を慈しむ善政を行った。お陰で世の中は平和に治まり、穏やかな日々が続いた。
或る時、堯は「誰も何もいわないが、本当に世の中はちゃんと治まっているのだろうか」と、ふと不安になり、自分の眼で確かめようと、そっと町へ出かけた。

ある町かどで子供たちが歌っていた。「私たちがこうして幸せに暮らせるのは、みんな天子様のお陰」ーー。堯は喜んだ。だが「いやいや、これは子供のうたう歌にしては出来すぎだ。大人の教えた歌かも知れない」と、尚も町の中を歩き続けた。町はずれまで来ると一人の年老いたお百姓が道ばたに座り、たっぷり食べて鼓のようにふくらんだお腹をひたひたと打ち、大地をたたき乍ら歌っていた。「お天道さまが昇りゃあ起きて働き、日が沈みゃ眠る。井戸を掘って水を飲み、田を耕やしてたっぷりくらう。天子さまなど有っても無くても儂の暮しに変りはないさ」ーー。堯の心はいっぺんに晴れやかになった。「これでこそ本当だ、民人(たみびと)が何の不安もなく日々の暮しを楽しんでいる。これこそ、政治が善く行われている何よりの証だ」と、満ち足りた思いで王宮へ帰っていったという。
聖天子といわれるゆえんである。

昨今の世界の状勢を思う時、こんなことはまさに夢物語である。だが真理は永久に真理である。不変の真理を忘れて進歩はない。為政者たる者、心の片隅にでも、こんな物語を置いておいてくれないものか。

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