2月


久佐伎波里月(くさきはりづき)、萌揺月(きさゆらぎづき)、衣更着月(きぬさらぎづき)、気更来月(きさらぎづき)、如月(じょげつ)ーー。
2月の異名は、いろいろありますが、「梅見月」のような、庶民にも馴染みのある名もあります。
寒中から健気に咲く梅を愛でる心は古く、万葉の頃の「花」といえば梅でした。華やかな宮廷文化の生まれた平安の頃から、次第に桜へと移って行きましたが、今も尚、梅を愛する人は多くおいでです。

梅にまつわる有名な鴬宿梅(おうしゅくばい)の話は、誰もがよく知るところですが、村上天皇の御代(947-967)、天皇がいたく愛でられていた清涼殿の紅梅が枯れてしまい、悲しんだ帝は代わりの梅をと都中を探しまわられたところ、西の京の辺りのお屋敷にそっくりの見事な紅梅があるのが見つかりました。直ちにその梅を差出すよう命じられ、梅は清涼殿へ移し変えられました。
ところが、その梅の枝に一首の歌が結んであったのです。

「勅なれば いともかしこし鶯(うぐいす)の

          宿はと問(と)はば いかがこたへむ」ーー。

胸を打たれた帝は、直ちにその梅を元の持主に返されたという、有名なお話です。
歌の主は紀内侍(きのないし)。
帝の仰せとはいえ、自らの愛する梅を差出す悲しみと帝へのささやかな抗議。そんな自分の意志を実に見事に和歌という文学を通して伝えてられます。しかも、いささかも相手の心を傷つけることなく。だからこそ帝も自らの非を覚り、ただちにお返しになったのでしょう。

人の心を傷つけずに、自分の意志を通すというのは、本当にむづかしいことです。それを、今よりはるかに身分制度も厳しかったであろう時代に、見事に通された紀内侍という女性。
何という聡明さ、そして教養の高さでしょう。
ともすれば声高に自己主張をすることが美徳のようにいわれる欧米的(?)思考の蔓延する今の日本に、こんな素晴らしい先人が居られることを、今少し識(し)り、考えてみてもいいのではないでしょうか。