『たそがれどきに』


暮れなずむ相国寺様の境内を歩くと、いろんなことに出会う。
六時台ともなると、家路を急ぐ人たちがせわしなく境内を通り抜けて行く。さしずめ、東門と西門を結ぶ石だたみの路が幹線道路。烏丸通りの信号が変わったのだろう、いっせいに何台もの自転車が流れ込んで来る。子供を前後に乗せているお母さん、買物を前カゴに乗せている主婦らしき人、学生、生徒、サラリーマン、いろんな人がいる。時折り、三台が並んで大きな声でしゃべり乍ら走る生徒もいる。それでも前から人が来ると、誰か一人がちょっと遅れて道を空ける。そしてやりすごすと又三列になって楽しそうに走って行く。
勿論、歩いている人も沢山おいでだ。夜の食事の買物だろうか、両手にビニール袋を下げて急ぎ足に歩く女性、重そうなカバンを手に下げて、疲れた足どりで歩く男性、OLらしき若い女性。時には弓道部なのか、弓袋を持って歩く女性もいる。その伸びた背すじが美しい。
いろんな人生が見えるようで、私にとって楽しい散策の路である。

だが、先日のこと。子供を自転車の後ろに乗せて無灯火で走っているお母さんに、年配の女性が声をかけた。「灯りつけて下さいね」 ―― 。おだやかな優しい声かけに返って来たのは ――「うるさい!ババァ」―― 。 ふり向きざまそういい捨てて走り去って行った。悲しそうに見送る女性。
こんな母親に育てられる子供は本当に可哀想だ。
そういえば以前こんな光景を目にした。赤信号で子供が立ち止った。ところが母親が、「赤信号や」という子供の言葉を無視して、「はよ行こ」と手をひぱって走って渡っていった。

子供は親を選べない。親になるというのはどういう事か、もう少し真剣に考えてほしいと思う。

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