『京ことば』


日本は勿論、世界の多くの人々に愛され憧れられる京都。海外から訪れる方もどんどん多くなっているようだ古くから「旅の味の第一は その土地の言葉」だといわれるが、今の京都には美しい京ことばが聞ける場所がほとんど無い。こんな状態で「どうぞおいで下さい」といっていいのだろうか。

京ことばの元が「御所ことば」だということは誰もの知るところである。では、雲上人である公家や女房方(御所づとめの女性)の言葉が、どうして庶民の言葉になったのか。
簡単にいうと、応仁の乱(1467~1477)で京の町が戦乱にさらされ、多くの人が住む所を失った。お公家さん方も例外でなく、行き場を失って、やむなく町の中へ散らばっていった。
町衆にとって今まで見たこともないお公家さんは珍しい。しかもお公家さんのなさること、話される言葉、何もかもが自分たちと全く違う。珍しがって、面白がって、町衆はすぐにその真似を始めた。中でも言葉は誰でも簡単に真似られる。町衆はお公家さん方の言葉を得々としゃべり、楽しんだ。そのうちに、その言葉を用うことで物事がうまく円滑にすすむことに気がつきはじめた。更に人間関係までもが今までよりずっと穏やかに和やかになって行く。喜んだ町衆はますますその言葉を用って、いつか自分たちの言葉にして行った。
一方、お公家さんたちの一部は淀川を下り、浪速へとおいでになった。着いた所が船場である。御存知のように船場は商人の町である。とはいえ未だその頃は商道というか 商人としてのあり方、又、お客へのもてなしなども確立されていなかったらしい。そこへお公家さん方がおいでになったのだ。
商人たちはお公家さん方の美しい立ち居ふるまい、優しい言葉に目をみはった。そしてこれこそが商人としてお客をもてなす最高の態度、言葉だと確信し、すすんでお公家さん方を受け容れ、もてなし、どんどんその態度、言葉を取り入れていった。
そしていつか「船場の嫁は京娘」ということになり、沢山の京娘が船場へ嫁いでいった。
NHKの今の朝のドラマの主人公が京都から浪速の商人に嫁いでいったのもそういったならわしの一端であろう。
そんな京ことばが、今、本家の京都でどんどん消えていきつつある。このままほうっておいていいのかどうか ―― 。
一考も二考もしなければならない時である。

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