月別アーカイブ: 2017年3月

『 忙中の閑 』

お彼岸も過ぎたというのに未だ肌寒い日が ―― と思っていましたら、急に温かい日がやって来たり、いったいどうなっているのといいたい気温の変りようです。でも植物たちは確実に春を迎えています。椿の花も二輪咲きました。かつて月心寺さまの庵主さまからいただいた名椿です。紅と白の斑入りの大輪の花で、鉢に植えた方の小さな木などは花の重さが可哀想に思えるほど、沢山の花をつけます。一日一日、どんどん開花がすすむのが楽しみです。

相国寺様の境内を歩いていると「カォ、カォ」と鳴いて、一羽の鷺がお池に舞い降りました。「あれ、前より一寸いい声になったのかな」と思い乍ら池の中を見ておどろきました。鷺の数が増えているのです。一羽、二羽、三羽、四羽、五羽もいました。以前「凄い悪声」と思っていたのは、今帰って来たのとは別の鷺だったのでしょう。
それにしても鳥たちはどうしてこんなに上手にいい棲家をみつけるのでしょう。よその川や池と違って、相国寺様の池は垣根に囲まれていますから、すぐそばに人が近寄ることはまずありません。石を投げたりいたずらをする人を見かけた事もありませんし、いつもおだやかで静かな環境です。雀でさえ、よほど近ずかないと飛び立たないほど、相国寺様に来る小鳥たちはおっとりしています。鷺たちもきっと、「ここは最高」と思っているのではないでしょうか。立ち止まって見ていると、時折り鷺たちもこちらを見ます。(気のせいかも知れませんが ― 。)おしどりの番も二組いて、のんびり泳いでいます。見ているとこちらの心まで、静かに、あたたかくなります。こんな時間が持てる時はそう多くありませんが、今日はとてもいい時間を過ごせました。

さて、稽古の方ですが、なかなかすすまないのはいつも通り ―― とは、本当に情けないことですし、申訳ないことです。直前にならないとエンジンのかからないのんびりやの俳優ばかりで、いらいらしているのはスタッフだけ ―― 。果たして無事初日の幕が開けられるのかと思わされます。でも、少しずつではあっても、進歩して来ている俳優さんもいます。悪い面ばかり見ずにいい面をもっともっと見つけてあげなきゃならないのかも知れませんね。
只、もう一つ心配なのがインフルエンザです。出演してくれる児童の一人が発症しました。今は只、他の誰にも広がらないことを祈るばかりです。
これからいよいよ稽古も追い込みに入る今、全員もう一度心を引き締めて公演当日に向かいましょう。

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『見えるもの、見えないもの 』

三寒四温という言葉があてはまるのかどうかわかりませんが、本当に日々の気温の変化にふりまわされます。自分では気づかなくても必ず体は無理をしているそうですから、なるべく逆わず、がんばってる心身を労わってやりましょう。

それにしても春というのはやはりいい季節ですね。冬の間は枯れたような木にも新芽がちょっぴり乍ら芽吹いています。古枝の先には今年新しく延びた枝が、初々しい紅色を帯びて、大空を目指しています。枯れたようだった柳の枝も、ずい分緑の感じに染まって来ました。小鳥たちの声も心なしか艶めいて聞こえます。間もなく訪れる「春」にむかってあらゆる生命がぐんぐんふくらんでいるのを感じます。

春の公演「愛」の稽古も徐々にすすんでいます。今年も三人の児童が出演しますが、いつも乍ら、子供の純真さ、純粋さに心をあらわれています。よく見かける大人子供のような、或る意味世間ずれした子役といわれる人たちとは一味も二味も違う、本当に子供らしい子供たちです。稽古に入る前の「洗心」(白紙の心で稽古にのぞむ為)、そして全員への挨拶からはじまって、終っての「洗心」、先輩たち一人一人への礼、そして自分たちの使ったものは自分で片づける(おざぶとんやお湯のみなど) 彼や彼女らの姿に、時折見学に来られた親御さんは目を見張ってられます。「お家ではしないでしょうね」といいますと、「しません、しません」と手をふっておっしゃいます。でもそれでいいのです。いつか塾でやっている事が役に立つ時が必ず来ます。そして塾でのしばらくの生活が、彼や彼女の人格形成に少しでもプラスになってくれれば、これほど嬉しいことはありません。

毎年、子供たちにいやされ、励まされ、反省させられ乍ら、大人の人たちもがんばっています。
認知症の人物に生きる女性は、「いつも身近で見ているのに、さてとなると手も足もでない」となげいています。(彼女は介護の仕事もしています)。
人間、常に見ているようで見ていないものが本当に沢山あります。建物一つでもこわされて新地(さらち)になった場所を見て、「あれ、ここ以前どんなところだったのかな」と考えますが、まずわかりません。ものだけでなく、見ていないもの、見えていないものが本当に沢山あって、自分の貧しさにいつも悔しい想いをしています。折角神さまにいただいた眼をしっかり見開いて、世の中のことを少しでも沢山(見えないものも含めて)、汲みとりたいものです。

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