投稿者「おさだ塾」のアーカイブ

聖天子

「鼓腹撃攘」という言葉がある。
古代中国の伝説上の聖天子、堯にまつわる物語で、人々が不安なく太平を楽しみ、満ち足りて暮すさまをいった言葉である。
堯は帝位につくと、ひたすら天を敬い人を愛し、民を慈しむ善政を行った。お陰で世の中は平和に治まり、穏やかな日々が続いた。
或る時、堯は「誰も何もいわないが、本当に世の中はちゃんと治まっているのだろうか」と、ふと不安になり、自分の眼で確かめようと、そっと町へ出かけた。

ある町かどで子供たちが歌っていた。「私たちがこうして幸せに暮らせるのは、みんな天子様のお陰」ーー。堯は喜んだ。だが「いやいや、これは子供のうたう歌にしては出来すぎだ。大人の教えた歌かも知れない」と、尚も町の中を歩き続けた。町はずれまで来ると一人の年老いたお百姓が道ばたに座り、たっぷり食べて鼓のようにふくらんだお腹をひたひたと打ち、大地をたたき乍ら歌っていた。「お天道さまが昇りゃあ起きて働き、日が沈みゃ眠る。井戸を掘って水を飲み、田を耕やしてたっぷりくらう。天子さまなど有っても無くても儂の暮しに変りはないさ」ーー。堯の心はいっぺんに晴れやかになった。「これでこそ本当だ、民人(たみびと)が何の不安もなく日々の暮しを楽しんでいる。これこそ、政治が善く行われている何よりの証だ」と、満ち足りた思いで王宮へ帰っていったという。
聖天子といわれるゆえんである。

昨今の世界の状勢を思う時、こんなことはまさに夢物語である。だが真理は永久に真理である。不変の真理を忘れて進歩はない。為政者たる者、心の片隅にでも、こんな物語を置いておいてくれないものか。

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草藁生活行が無事終わりました

窓から入る日差しが、少しずつ長く影を落とすようになって来ました。

二月十一日の草藁生活行、お蔭様で無事に了えることが出来ました。有難うございます。

今年は久しぶりの、又、初めての方の参加があり、とても嬉しい会になりました。
まず、二十数年ぶりに出席して下さった石崎直人氏御夫妻。河田洋志が京都へ出て来てはじめて、長田先生の紹介で行ったバイト先で出会った先輩です。
仕事は一生懸命まじめにしますが、同時に、来られるお客様に片っぱしから声をかけて公演の券を懸命に売ろうとする若冠十八才の河田。世間も知らず、只、熱意だけで夢中になっている彼に「お前は仕事をしに来てるのか、券を売りに来てるのか」と呆れる仲間たち。
そんな彼を温かく見守り、仕事だけでなく世間というものも教えて下さった有難い先輩です。爾来三十数年、ずっと河田を可愛がって下さり、劇団にも何かと協力して下さっています。
次いで、長田純俳優養成所の第一期生で、おさだ塾舞台公演の金字塔とでもいえるような舞台「雲水」で、主人公の若き修行僧を実に美しく演じてくれた辻義博さん。
「町かどの藝能」では若いのに「番頭」の大役を与えられ、後輩の男性陣が華々しく活躍するのを陰からそっと見守り、会場全体に気を配り、穴が開かないよう本当に細やかな気配りの出来る“ほんもの”の番頭をつとめてくれました。
種々の事情で俳優の道をあきらめていた彼に、おさだ塾五十周年記念公演「女人抄」の時、「どうしても出演してほしい。その代り、二度と無理はいわないから」と口説き落とし、出演してもらいました。
特高といわれた、いわゆる思想犯専門の刑事に追われる青年の役です。出番は少しですが、当時の世相と、時代の荒波の中で必死に自らの信念を貫こうとする若きインテリ青年は、彼にしか出来ないと思ったからです。予想通り、本当に素晴らしいシーンを創ってくれました。
のどから手が出るほど帰って来てほしい俳優ですが、約束した以上無理はいえません。そんな彼が俳優としての仕事ではありませんが、塾の大切な行事に久々に、本当に久々に参加してくれたのです。彼を知らない塾生たちも心から喜んでいました。
又、早川典男君の友人の岩本真智子さんが、はじめて参加して下さいました。
去年の秋の公演と十二月の小さな発表会の時、彼に誘われて友人とお二人で来て下さいました。早川君の人柄に相応しい(失礼ないい方ですが)、とても明るくて誠実な方々でした。今回はその友人は御都合が悪かったのですが、それでも来て下さったのです。みんなとも気さくに話して下さり、とても有難かったです。
これからもどうぞ塾と仲良くして下さり、見守って下さることをお願い致します。

なんか、一番しんどかったであろう歩いた人たちのことがそっちのけになりましたが、それは「当り前」の事ですから、ゆるして下さい。

まずは草藁生活行が無事に終わったことの御報告と、嬉しかったことを書かせていただきました。

又近いうちに、他のこともおしらせ致します。

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草藁生活行

二月に入ると俄かに日の過ぎて行くのが早くなります。
二月は「逃げる」と昔からよく言われていましたが、やっぱり昔の人もそんなように感じたのでしょうか。
二月三日はお節分。そして翌日は早くも春が立ちます。
とはいえ、寒さは寒中にもまして厳しいのが常で、二月に降るみぞれは、冬の雪よりも尚、冷たさを感じさせます。
以前、お家の前に置かれたプランターのすみれやデージーの上にみぞれが降り積もり、寒さにふるえていましたのに、次の日、みぞれが溶けると降る前と変らず、元気にお日様の方を向いていました。
川や湖に張った氷が一番厚くなるのも二月とか。そういえば、雪祭りや氷の行事が一番多く行われるのも二月です。
寒い国の人たちが、ふと冬が見せた後姿に、春の近さを感じて、待つ喜びと冬への別れの心が、こうしたお祭りになったのでしょうか。

さて、いよいよ草藁生活行も間近になりました。
男性は上賀茂神社から、女性は川島織物の工場辺りを出発点に、それぞれ一寸した荷物を持って歩きます。
——昔の芸商人はこんなものを持っていたのじゃないだろうか。でも重いものを持っては歩けないしーー
現代人の塾生たちが、自分のひ弱さを改めて実感するときでもあります。でも出来る限り芸商人の心に近ずこうと、一人一人孤独の環境で、寒風
の中を歩きます。
貴船街道の一番奥にある「ひろ文」さんという料理旅館が終着点です。
温かいお風呂で汗や疲れを洗い流したあと、参加して下さった方や、友の会の方々へのもてなしとして、それぞれが一寸した課題や「芸」を見ていただきます。今年は落語か漫才なども有るようです。でも、なかなか褒められるようなことは出来ません。
本来この日は、今年一年がんばった人たちにいろいろな賞が贈られるのですが、ここ何年かは該当者なしで、とても残念な状況です。
おさだ塾の年度始めでもあり、全員が心を新たにする大切な日です。

そのあと、一年に一度の会食となります。
会食のあとは、稽古場に帰って春の公演の稽古をします。稽古のあがりが遅々として進まず、又々叱声が多くとぶことでしょう。
楽しくて、恐い一日です。

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2月

久佐伎波里月(くさきはりづき)、萌揺月(きさゆらぎづき)、衣更着月(きぬさらぎづき)、気更来月(きさらぎづき)、如月(じょげつ)ーー。
2月の異名は、いろいろありますが、「梅見月」のような、庶民にも馴染みのある名もあります。
寒中から健気に咲く梅を愛でる心は古く、万葉の頃の「花」といえば梅でした。華やかな宮廷文化の生まれた平安の頃から、次第に桜へと移って行きましたが、今も尚、梅を愛する人は多くおいでです。

梅にまつわる有名な鴬宿梅(おうしゅくばい)の話は、誰もがよく知るところですが、村上天皇の御代(947-967)、天皇がいたく愛でられていた清涼殿の紅梅が枯れてしまい、悲しんだ帝は代わりの梅をと都中を探しまわられたところ、西の京の辺りのお屋敷にそっくりの見事な紅梅があるのが見つかりました。直ちにその梅を差出すよう命じられ、梅は清涼殿へ移し変えられました。
ところが、その梅の枝に一首の歌が結んであったのです。

「勅なれば いともかしこし鶯(うぐいす)の

          宿はと問(と)はば いかがこたへむ」ーー。

胸を打たれた帝は、直ちにその梅を元の持主に返されたという、有名なお話です。
歌の主は紀内侍(きのないし)。
帝の仰せとはいえ、自らの愛する梅を差出す悲しみと帝へのささやかな抗議。そんな自分の意志を実に見事に和歌という文学を通して伝えてられます。しかも、いささかも相手の心を傷つけることなく。だからこそ帝も自らの非を覚り、ただちにお返しになったのでしょう。

人の心を傷つけずに、自分の意志を通すというのは、本当にむづかしいことです。それを、今よりはるかに身分制度も厳しかったであろう時代に、見事に通された紀内侍という女性。
何という聡明さ、そして教養の高さでしょう。
ともすれば声高に自己主張をすることが美徳のようにいわれる欧米的(?)思考の蔓延する今の日本に、こんな素晴らしい先人が居られることを、今少し識(し)り、考えてみてもいいのではないでしょうか。

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草藁生活行

今年の京都は大変なお正月でした。
まれに見る大雪で、初詣の足を止められた方も沢山おいでだったことでしょう。

昔(?)は15日を過ぎるまでは「松の内」で、お正月気分が街の中にもただよっていたものです。
でも今は、もうそんな気分はほとんどないようですね。
皆さまは如何でしょう。

さて、おさだ塾では5日から、春の公演の本読みをはじめています。
中味以前に大阪弁に悪戦苦闘、同じ関西でも京都とは随分違います。関東出身の人にとっては尚更です。

お話は、
人気上昇中の若い女性の漫才コンビが、舞台上でおこした大失敗。
それをめぐってなんとか助けようと心をくだく善意の人々。
浪速の人情にあふれたお話しです。

又、2月11日には、おさだ塾の大切な年中行事、「草藁生活行(そうこうせいかつこう)」を実施いたします。
上賀茂神社から奧貴船までの約10キロを、わらじばきで歩くのです。
この行事、最初はマラソン大会でした。
雪の中を裸足で走るつわものも居りました。
天候のいい時はファンの中の有志の方々も参加され、けっこうにぎやかなマラソン大会でした。
しかし「町かどの藝能」をはじめるようになってから、わらじばきで自分と芸商人の二人づれで歩く「草藁生活行」に切りかえました。昔の芸商人に思いを馳せ乍ら、寒風の中を歩く、走るよりはるかに辛い行事です。
でも歩き終えた後は、みんな清々しい顔で。歩いて良かったといいます。
50年近く、一度もとぎれる事なく続けている大切な行事です。

今は寒中、けっこう厳しい日が続きますが、どうぞ皆さま、風邪やインフルエンザに御注意なさって、お元気でお過し下さい。

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平成27年 正月

明けましておめでとうございます。

月並みな御あいさつのようですが、一番平易で気取りのない言葉だと思います。

皆様 佳い新年をお迎えになりましたでしょうか。

それにしましても、日本には本当に沢山の新年を寿ぐ言葉がありますね。
「謹賀新年」なんて固い感じの言葉もあれば、「あら玉の」にはじまる優しい言葉もあります。
以前、たまたま調べたのですが、この「あら玉」という言葉、文字も意味も実にさまざまなのです。

阿良多麻・荒玉・新玉(珠)・粗玉・璞・麁・未ーー。

初めて見るような字もありますね。
意味も『改の字の心なり』(無言抄)とか、『磨かぬ玉を「あら玉」という。その玉をば砥にて研ぐゆゑに、「年」の枕詞にしそめしなり』(御傘)とか、又、『宝の内だから』とか『疾き心なり』などなど、いろいろとありました。

たしかに、新しい年には心改まりますし、この一年をどう過ごすかによってーー研ぎ方によって、いびつな玉になるのか、光り輝く素晴らしい珠になるのかーーそう思うと本当に意味深い言葉です。

誰にも平等にある新年を、どんな一年にするのかーー。
自分の心に問いかけて居ます。

どうか皆様にとって、より良き歳でありますようにーー。

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「12」

今年もあとわずかになりました。
来る年は「乙未(きのとひつじ)」歳。
この乙未歳という言い方は、古くから行われて来た暦法によりますが、それというのも木星が十二年で天を一周するところから、中国の天文学で年毎に変わる木星の位置を示す為に、天を十二分したことから始まったといいます。
そういえば、一年の月も十二月(つき)。時刻は十二刻(とき)。この他にも、「十二」に関わる言葉は驚くほど沢山あります。
十二上願は薬師如来が衆生済渡のために立てられた十二の誓い。
十二光は阿弥陀仏の光明の功徳(くどく)を十二に分けたもの。
十二神将(じゅうにしんしょう)は仏法を守護する神々のこと。
仏教ばかりではありません。十二単・十二直(じゅうにちょく)・十二段草子(じゅうにだんぞうし)・十二律・その他いろいろ、生活や文化の中にも「十二」という数が沢山生きています。
更に、イエス・キリストが多くの弟子の中から選ばれたのが十二使徒。そして十二表法はローマ最古の成文法です。又、十二進法という数の表記法もあります。宗教・民族・洋の東西を問わず共通する数の面白さ。
又、イエス・キリストの生誕をもって元年とする西暦ですが、宗教に関りなく、多くの人が何の抵抗もなく受け入れ、使っています。今は二十一世紀と、誰もが思っています。
世の中のあらゆる事がこのように、宗教・国家・民族を超えて共通し、受け入れられたなら、どんなに素晴らしいことでしょう。
世界平和も決して夢ではなくなります。
現実が厳しければ厳しいほど、そんな平和な世界のおとずれることを、切に切に祈ります。

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12月24日………

12月24日 ―― 。街に明るい音楽が流れ、ケーキ屋さんが声を枯らすクリスマス・イブです。

でも、おさだ塾にとってはちょっとちがう意味の日になります。

塾を創られた長田純先生のお誕生日 ―― それが12月24日なのです。

「キリストさんより一日早いんだ」と、よく冗談をおっしゃってました。

ケーキをいただいく時も、「メリークリスマス」でなく「お誕生日おめでとうございます」でした。

この季節になるといつもその時のことを思いだします。

さて、おさだ塾では、12月27日に塾の大掃除をします。普段の手ぬきをいささか後めたく思わされる日です。

毎年、今年こそやりのこしのないようにと思い乍ら、いつも心残りの多い年の暮。
でもせめて、近しい人との交わりでは、心残りのないように心がけましょう。
「いつ、その方がいらっしゃらなくなっても、悔いのないおつきあいをせよ」と先生に教わりました。去年まで年賀状のやりとりをした方が今年はいらっしゃらない ―― そんなことだってあるのですから。

 

粟津の脚本もいよいよ出来上がります。出来上がり次第すぐに印刷、27日には台本配布の予定です。

年末年始、塾生は台本との「対決」になります。好きだからこそ出来る、そして一番たのしみなときです。

皆さまはどんな年越しをなさるのでしょう。

お幸せ多きことを祈ります。

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御礼申し上げます

12月13日、塾生によるささやかな発表会を何とか事故なく、終えさせていただきました・有難うございました。

本当につたない発表会でしたが、初めてお越しくださったお方もあり、本当に有難く、嬉しく思って居ります。

仕事の都合で参加出来なかった塾生も多く、ほんの少人数の出演でしたが、それでも皆さま最後まで御参加下さり、感謝以外の何ものでもありません。本当に有難うございました。

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今日の劇団

2014-12-1
今日は。お変わりございませんか。この2・3日の冷え込みのせいか般若林の庭は、すっかり冬枯れの色に変わりました。でもここ般若林には実の成る木が沢山あって、柿は渋柿ですが、今年も赤い実をつけています。吊し柿やさわし柿にすると、それはそれは美味しい御馳走になります。又、みかんでもなし、柚子でもなし、でも見たところは大きなみかんか橙のような実を成らす木もあります。残念乍ら、美味ではありません。カリンはもうすっかり実を落としてしまいました。

そんな自然に恵まれた般若林ですが、二階の稽古場では今日もドンドン、バタバタ、大きな足音やワァーワァー、キャーキャー、さわがしい声が階下にいる者を驚かせます。13日の発表会の為の稽古でしょうが、それにしてもどんなものに仕上げてくれるのか、心配でもあり、楽しみでもあります。

脚本を書いたのは、河田洋志と梶田明子。場所設定は喫茶店。そして「出会いと別れ」と言うテーマで、それぞれが書いたそうです。

「中味はどう?」「稽古はすすんでる?」と演出の斉藤維明に訪ねると、「さぁ…」と頭をひねるばかり。でも、それぞれに持てる力を出し合って頑張ってくれているようです。

来春の公演の準備も少しずつ進んでいます。12月中には脚本も上がりますし、又、新しいお知らせが出来ると思います。どうぞお楽しみに。

 

今日は滋賀県の菓子舗、たねやさんの日牟禮の舎へ行って来ました。

いつ行ってもお客さんの多さに驚きます。

お店の人たちはいつも生き生き、会長の奥様も社員の先頭に立って働いておられます。

二人の後継者(限CEOとクラブ・ハリエの社長)も、それぞれに自分を研く勉強会を持たれてました。大きくなるお店には、やはりそれなりの理由があるのですね。

日牟禮の舎の玄関にも中にも、いつも山野草が置かれていますが、決してはなやかではありません。でもじっと見ていると自然の中にある時の姿が目に浮かぶようで、何ともいえない味わいのある素朴な美しさです。きっとこれがこのお店の心なのでしょう。

八幡堀の紅葉も水に映えて美しく、近江八幡の秋は今が見頃のようです。久しぶりにさわやかな半日を過ごして来ました。

碧川萌子

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