投稿者「おさだ塾」のアーカイブ

まもなく、春です。

春爛漫というには未だ少し早いが、木々の梢は緑に燃え立ち、桜たちはいつ開こうかとその時を待っている。
こうした自然界の春と共に、人間界の若者たちも、いよいよ社会人としての第一歩をふみ出そうとしている。胸いっぱいの希望をもって。
又、企業の方でも、若い新しい戦力の参加に大きな期待を寄せている。
希望と期待。実にいい関係である。
ところがそれが、ものの二・三ヶ月も経つと、「面接の時は明るくてハキハキしていたのに、いざ仕事がはじまると全く能動性がない。返事は悪いし、いわれた事しかしない。同じ失敗をくり返すし、一寸注意をすると黙りこむ。本当に扱いにくい」―― 。
「仕事が片づいてないのに早く帰れといわれる。それでいてきちんと仕事しろという。ろくすっぽ教えもしないで文句ばっかり。それもネチネチ、クドクド。いやになる」―― 。
こんな不協和音があちこちから聞こえてくる。
しかし、「会社に入ったら怠けてやろう。サボってやろう」そう思って入って来る新入社員はまずいない。
「新入社員が来たらいじめてやろう。つぶしてやろう」という上司もいないだろう。にもかかわらず、こんな軋轢が生じてくるのはどうしてだろう。
新人が仕事を能率よく処理出来ないのは慣れてないから。未熟だからである。自分では一生懸命やっているのだが、なかなか認めてもらえず、それどころか叱られてばかり。萎縮して動けなくなり、自信もなくなる。いきおい無口になるのも当然だろう。
又、本来、上司の注意というのは新人を育てる為の親心から出てくるものである。なんとか早く成長してほしい、戦力になってほしいと願う心が強ければ強いほど、注意する事もふえてくる。しつこくいうのは新人の態度が、解ったのか解らないのか、判らないからである。
お互いがほんの少しずつ、相手の立場を思いやれば、すぐわかることばかりなのだ。
この世の中、新入社員と上司に限らず、お互いが相手の立場をほんの少しでも思いやれば、トラブルはうんと少なくなるはずだ。
同じ人生、自分で選んだ仕事・道なら(例え理想通りではなかったとしても、最終的に選んだのは自分だから)、気持よく働き、誰とでも仲良く過ごす方が楽しいし、人生の意義もみつけられるのではないだろうか。

カテゴリー: おさだ新聞 | コメントする

ありがとうございました。

おだやかな陽差しに恵まれ乍ら、無事、春の小さな劇場「春一番今昔亭狂想曲」の公演をおえさせていただきました。
有難うございます。

いつも乍ら、温かい声援を下さるファンの方々に感謝、感謝です。

東京から駆けつけてくれた先輩、岡田千代さん、吉田幸矢さんたちの力も借りて、なんとか終演に至りました。

いつもの事ですが、「もう一週間あったら」というのが、皆の本音だと思います。同じ事をくり返す「愚」を、いい加減に解消しないと、応援して下さっている皆さまに本当に申訳ないと思います。「思う存分やれました」といえる公演を一度でも持ちたい――これが俳優たちの目指すところでしょうが、まわりのどこを見ても、なかなかそういえる人たちは少ないようです。ある意味、永遠の課題かも知れません。但し、これは俳優以外の人間だからいえることで、俳優たるもの、それに甘えてはいられません。

おさだ塾では、公演の翌日から「町かどの藝能」の稽古に入ります。二十九日に仕事を控えているからです。
公演のあと、「打ち上げ」をされるのが演劇界の慣習のようですが、おさだ塾では一切そんなことは致しません。演劇人なら今日も明日も同じ――「終わった」という時はないと、教えられて来ましたから。
こんなところが「ガンコ」で「馬鹿正直」なのかも知れませんね。

間もなく般若林では桜の花が、春の盛りを知らせてくれます。
古木ですががんばって、毎年美しい花を咲かせています。
よろしければ「お花見」におこしになっては如何でしょう。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

たぬき

今、おさだ塾には二匹の狸がいます。
とはいっても、勿論生きた狸ではありません。信楽焼の可愛いい狸です。

一匹は、
長田先生の三回忌記念の公演で、故・川谷拓三さんが演じてくれた一人芝居「狸と侍」に出演した狸です。
ラストシーンで、幕の蔭からチラッとのぞく狸がほしくて、信楽焼の狸を入手する手配を長田先生の大ファンでいらした「たねやさん」の社長様にお願いしました。
間もなく、素朴な可愛いい狸の焼物が塾に届きました。そしてその狸を「寄贈させてほしい」といって下さったのです。
安易に、いらぬことをお願いした為と後悔いたしましたが、後の祭りです。有難く、有難く、頂戴することにいたしました。
その狸は無事出演をおえたのち、今日までずっとおさだ塾の玄関でお客様を出迎えてくれています。

019

もう一匹は、
昨年、甲賀市長様から贈られた狸です。
甲賀市市制十周年のお祝いに「町かどの藝能」を公演いたしましたところ、大そう喜んで下さり、臘梅の苗木と共に贈られて来たのです。
右肩にふくろうを止まらせ、左手に「町かどの藝能おさだ塾」という名札を持った、一寸モダンな愛くるしい狸君です。今は先輩の狸君と一緒に、おさだ塾の玄関を守ってくれています。

014

それぞれに、想いのこもった大切な狸君たちです。
それにしてもおさだ塾は本当に、沢山の方々の温かいお心に見守られているんだなということを、いつも感謝と共に思います。
そんな沢山の方々にお応えする為にも、いい公演を持つことが、私達のやるべきことです。
今一度、全員心を新たにして、春の公演に向かいます。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

とうとう。。。。

とうとう三月になってしまいました。

とうとうといいたいくらい遅い稽古の上りに、演出陣も指導陣も青くなっています。

のほほんとしているのは俳優だけ。いつもの事ですが、ほんとうにうちの俳優さんはのんびりしています。人間はいいのですが、厳しさの持てないのは困ったものです。「温室だから」とうちを知る皆さんにいわれますが、本当にそうなんでしょうね。

そんな中、季節は刻々とすすんでいます。ついこの間まで枯れほうきのようだった桜の木に芽生いた新芽がいっせいに、しっかりと太陽に向かっています。

庭の椿も紅いの、白いの、淡色に斑に、又、一本の木にいろんな色の椿が咲き誇っています。

昨年、甲賀市様からいただいた臘梅の苗木も、少し背が高くなって来ました。ちゃんと根づいてくれるか、とても心配していただけに、嬉しさも一入です。

間もなく般若林に鶯の声が聞こえて来るでしょう。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

聖天子

「鼓腹撃攘」という言葉がある。
古代中国の伝説上の聖天子、堯にまつわる物語で、人々が不安なく太平を楽しみ、満ち足りて暮すさまをいった言葉である。
堯は帝位につくと、ひたすら天を敬い人を愛し、民を慈しむ善政を行った。お陰で世の中は平和に治まり、穏やかな日々が続いた。
或る時、堯は「誰も何もいわないが、本当に世の中はちゃんと治まっているのだろうか」と、ふと不安になり、自分の眼で確かめようと、そっと町へ出かけた。

ある町かどで子供たちが歌っていた。「私たちがこうして幸せに暮らせるのは、みんな天子様のお陰」ーー。堯は喜んだ。だが「いやいや、これは子供のうたう歌にしては出来すぎだ。大人の教えた歌かも知れない」と、尚も町の中を歩き続けた。町はずれまで来ると一人の年老いたお百姓が道ばたに座り、たっぷり食べて鼓のようにふくらんだお腹をひたひたと打ち、大地をたたき乍ら歌っていた。「お天道さまが昇りゃあ起きて働き、日が沈みゃ眠る。井戸を掘って水を飲み、田を耕やしてたっぷりくらう。天子さまなど有っても無くても儂の暮しに変りはないさ」ーー。堯の心はいっぺんに晴れやかになった。「これでこそ本当だ、民人(たみびと)が何の不安もなく日々の暮しを楽しんでいる。これこそ、政治が善く行われている何よりの証だ」と、満ち足りた思いで王宮へ帰っていったという。
聖天子といわれるゆえんである。

昨今の世界の状勢を思う時、こんなことはまさに夢物語である。だが真理は永久に真理である。不変の真理を忘れて進歩はない。為政者たる者、心の片隅にでも、こんな物語を置いておいてくれないものか。

カテゴリー: おさだ新聞 | コメントする

草藁生活行が無事終わりました

窓から入る日差しが、少しずつ長く影を落とすようになって来ました。

二月十一日の草藁生活行、お蔭様で無事に了えることが出来ました。有難うございます。

今年は久しぶりの、又、初めての方の参加があり、とても嬉しい会になりました。
まず、二十数年ぶりに出席して下さった石崎直人氏御夫妻。河田洋志が京都へ出て来てはじめて、長田先生の紹介で行ったバイト先で出会った先輩です。
仕事は一生懸命まじめにしますが、同時に、来られるお客様に片っぱしから声をかけて公演の券を懸命に売ろうとする若冠十八才の河田。世間も知らず、只、熱意だけで夢中になっている彼に「お前は仕事をしに来てるのか、券を売りに来てるのか」と呆れる仲間たち。
そんな彼を温かく見守り、仕事だけでなく世間というものも教えて下さった有難い先輩です。爾来三十数年、ずっと河田を可愛がって下さり、劇団にも何かと協力して下さっています。
次いで、長田純俳優養成所の第一期生で、おさだ塾舞台公演の金字塔とでもいえるような舞台「雲水」で、主人公の若き修行僧を実に美しく演じてくれた辻義博さん。
「町かどの藝能」では若いのに「番頭」の大役を与えられ、後輩の男性陣が華々しく活躍するのを陰からそっと見守り、会場全体に気を配り、穴が開かないよう本当に細やかな気配りの出来る“ほんもの”の番頭をつとめてくれました。
種々の事情で俳優の道をあきらめていた彼に、おさだ塾五十周年記念公演「女人抄」の時、「どうしても出演してほしい。その代り、二度と無理はいわないから」と口説き落とし、出演してもらいました。
特高といわれた、いわゆる思想犯専門の刑事に追われる青年の役です。出番は少しですが、当時の世相と、時代の荒波の中で必死に自らの信念を貫こうとする若きインテリ青年は、彼にしか出来ないと思ったからです。予想通り、本当に素晴らしいシーンを創ってくれました。
のどから手が出るほど帰って来てほしい俳優ですが、約束した以上無理はいえません。そんな彼が俳優としての仕事ではありませんが、塾の大切な行事に久々に、本当に久々に参加してくれたのです。彼を知らない塾生たちも心から喜んでいました。
又、早川典男君の友人の岩本真智子さんが、はじめて参加して下さいました。
去年の秋の公演と十二月の小さな発表会の時、彼に誘われて友人とお二人で来て下さいました。早川君の人柄に相応しい(失礼ないい方ですが)、とても明るくて誠実な方々でした。今回はその友人は御都合が悪かったのですが、それでも来て下さったのです。みんなとも気さくに話して下さり、とても有難かったです。
これからもどうぞ塾と仲良くして下さり、見守って下さることをお願い致します。

なんか、一番しんどかったであろう歩いた人たちのことがそっちのけになりましたが、それは「当り前」の事ですから、ゆるして下さい。

まずは草藁生活行が無事に終わったことの御報告と、嬉しかったことを書かせていただきました。

又近いうちに、他のこともおしらせ致します。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

草藁生活行

二月に入ると俄かに日の過ぎて行くのが早くなります。
二月は「逃げる」と昔からよく言われていましたが、やっぱり昔の人もそんなように感じたのでしょうか。
二月三日はお節分。そして翌日は早くも春が立ちます。
とはいえ、寒さは寒中にもまして厳しいのが常で、二月に降るみぞれは、冬の雪よりも尚、冷たさを感じさせます。
以前、お家の前に置かれたプランターのすみれやデージーの上にみぞれが降り積もり、寒さにふるえていましたのに、次の日、みぞれが溶けると降る前と変らず、元気にお日様の方を向いていました。
川や湖に張った氷が一番厚くなるのも二月とか。そういえば、雪祭りや氷の行事が一番多く行われるのも二月です。
寒い国の人たちが、ふと冬が見せた後姿に、春の近さを感じて、待つ喜びと冬への別れの心が、こうしたお祭りになったのでしょうか。

さて、いよいよ草藁生活行も間近になりました。
男性は上賀茂神社から、女性は川島織物の工場辺りを出発点に、それぞれ一寸した荷物を持って歩きます。
——昔の芸商人はこんなものを持っていたのじゃないだろうか。でも重いものを持っては歩けないしーー
現代人の塾生たちが、自分のひ弱さを改めて実感するときでもあります。でも出来る限り芸商人の心に近ずこうと、一人一人孤独の環境で、寒風
の中を歩きます。
貴船街道の一番奥にある「ひろ文」さんという料理旅館が終着点です。
温かいお風呂で汗や疲れを洗い流したあと、参加して下さった方や、友の会の方々へのもてなしとして、それぞれが一寸した課題や「芸」を見ていただきます。今年は落語か漫才なども有るようです。でも、なかなか褒められるようなことは出来ません。
本来この日は、今年一年がんばった人たちにいろいろな賞が贈られるのですが、ここ何年かは該当者なしで、とても残念な状況です。
おさだ塾の年度始めでもあり、全員が心を新たにする大切な日です。

そのあと、一年に一度の会食となります。
会食のあとは、稽古場に帰って春の公演の稽古をします。稽古のあがりが遅々として進まず、又々叱声が多くとぶことでしょう。
楽しくて、恐い一日です。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

2月

久佐伎波里月(くさきはりづき)、萌揺月(きさゆらぎづき)、衣更着月(きぬさらぎづき)、気更来月(きさらぎづき)、如月(じょげつ)ーー。
2月の異名は、いろいろありますが、「梅見月」のような、庶民にも馴染みのある名もあります。
寒中から健気に咲く梅を愛でる心は古く、万葉の頃の「花」といえば梅でした。華やかな宮廷文化の生まれた平安の頃から、次第に桜へと移って行きましたが、今も尚、梅を愛する人は多くおいでです。

梅にまつわる有名な鴬宿梅(おうしゅくばい)の話は、誰もがよく知るところですが、村上天皇の御代(947-967)、天皇がいたく愛でられていた清涼殿の紅梅が枯れてしまい、悲しんだ帝は代わりの梅をと都中を探しまわられたところ、西の京の辺りのお屋敷にそっくりの見事な紅梅があるのが見つかりました。直ちにその梅を差出すよう命じられ、梅は清涼殿へ移し変えられました。
ところが、その梅の枝に一首の歌が結んであったのです。

「勅なれば いともかしこし鶯(うぐいす)の

          宿はと問(と)はば いかがこたへむ」ーー。

胸を打たれた帝は、直ちにその梅を元の持主に返されたという、有名なお話です。
歌の主は紀内侍(きのないし)。
帝の仰せとはいえ、自らの愛する梅を差出す悲しみと帝へのささやかな抗議。そんな自分の意志を実に見事に和歌という文学を通して伝えてられます。しかも、いささかも相手の心を傷つけることなく。だからこそ帝も自らの非を覚り、ただちにお返しになったのでしょう。

人の心を傷つけずに、自分の意志を通すというのは、本当にむづかしいことです。それを、今よりはるかに身分制度も厳しかったであろう時代に、見事に通された紀内侍という女性。
何という聡明さ、そして教養の高さでしょう。
ともすれば声高に自己主張をすることが美徳のようにいわれる欧米的(?)思考の蔓延する今の日本に、こんな素晴らしい先人が居られることを、今少し識(し)り、考えてみてもいいのではないでしょうか。

カテゴリー: おさだ新聞 | コメントする

草藁生活行

今年の京都は大変なお正月でした。
まれに見る大雪で、初詣の足を止められた方も沢山おいでだったことでしょう。

昔(?)は15日を過ぎるまでは「松の内」で、お正月気分が街の中にもただよっていたものです。
でも今は、もうそんな気分はほとんどないようですね。
皆さまは如何でしょう。

さて、おさだ塾では5日から、春の公演の本読みをはじめています。
中味以前に大阪弁に悪戦苦闘、同じ関西でも京都とは随分違います。関東出身の人にとっては尚更です。

お話は、
人気上昇中の若い女性の漫才コンビが、舞台上でおこした大失敗。
それをめぐってなんとか助けようと心をくだく善意の人々。
浪速の人情にあふれたお話しです。

又、2月11日には、おさだ塾の大切な年中行事、「草藁生活行(そうこうせいかつこう)」を実施いたします。
上賀茂神社から奧貴船までの約10キロを、わらじばきで歩くのです。
この行事、最初はマラソン大会でした。
雪の中を裸足で走るつわものも居りました。
天候のいい時はファンの中の有志の方々も参加され、けっこうにぎやかなマラソン大会でした。
しかし「町かどの藝能」をはじめるようになってから、わらじばきで自分と芸商人の二人づれで歩く「草藁生活行」に切りかえました。昔の芸商人に思いを馳せ乍ら、寒風の中を歩く、走るよりはるかに辛い行事です。
でも歩き終えた後は、みんな清々しい顔で。歩いて良かったといいます。
50年近く、一度もとぎれる事なく続けている大切な行事です。

今は寒中、けっこう厳しい日が続きますが、どうぞ皆さま、風邪やインフルエンザに御注意なさって、お元気でお過し下さい。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

平成27年 正月

明けましておめでとうございます。

月並みな御あいさつのようですが、一番平易で気取りのない言葉だと思います。

皆様 佳い新年をお迎えになりましたでしょうか。

それにしましても、日本には本当に沢山の新年を寿ぐ言葉がありますね。
「謹賀新年」なんて固い感じの言葉もあれば、「あら玉の」にはじまる優しい言葉もあります。
以前、たまたま調べたのですが、この「あら玉」という言葉、文字も意味も実にさまざまなのです。

阿良多麻・荒玉・新玉(珠)・粗玉・璞・麁・未ーー。

初めて見るような字もありますね。
意味も『改の字の心なり』(無言抄)とか、『磨かぬ玉を「あら玉」という。その玉をば砥にて研ぐゆゑに、「年」の枕詞にしそめしなり』(御傘)とか、又、『宝の内だから』とか『疾き心なり』などなど、いろいろとありました。

たしかに、新しい年には心改まりますし、この一年をどう過ごすかによってーー研ぎ方によって、いびつな玉になるのか、光り輝く素晴らしい珠になるのかーーそう思うと本当に意味深い言葉です。

誰にも平等にある新年を、どんな一年にするのかーー。
自分の心に問いかけて居ます。

どうか皆様にとって、より良き歳でありますようにーー。

カテゴリー: 未分類 | コメントする