投稿者「おさだ塾」のアーカイブ

『 暑さの中で 』

猛暑、酷暑、記録更新 ―― 。
連日そんな言葉が飛び交っています。いつになったら治まってくれるのか、本当に「もう、いい」といいたくなります。
そんな中、日盛りに草とりをしたり、落葉を掃き集めたりする塾生がいます。
「今日は外での作業は止めなさい」といわれても、「はい」といい乍らやめません。
「こんな日に外で仕事して倒れても、“バカだ”といわれるだけだから。早く止めなさい」―― 。何度もいわれてやっとシブシブ止める姿に、本当は感謝しているんですが ―― 。
それにしても暑いですね。皆さまはどんな風にお過ごしなんでしょう。

今、塾の二階の稽古場からは、お三味線の音色と唄声が、聞こえて来ます。暑い中、浴衣姿で、顔をまっ赤にし乍らも笑顔をたやさずがんばっている女性たち。
当り前といえば当たり前なんですが、それでも「よくやってくれるな」と思います。
でも、昔の芸商人さんたちも暑い中、大きな荷物をかついで商いに歩いたはずです。

「町かどの藝能」の中に「風鈴売り」という商いがありますが、大きな屋台をかついで、IMG_0785
風鈴の涼やかな音色をひびかせながら、町の中を歩きます。
売り声は ――
  ふうーりん ふうーりん
     え ふうりん ふうりん
単純な唄詞(うたことば)ですが、実にのびやかで美しい節廻しです。とに角“涼”を売る商いですから、芸商人本人は決して暑そうな顔は出来ません。まして汗を見せるなど、もっての外(ほか)。どんなに暑くても涼しそうな顔で涼しい売り声をあげ、涼しい音色を聞かせながら商いに廻ります。そして、一寸した木蔭を見つけると荷を下し、気づかれぬようにそっと汗を拭い、一息入れると又、暑さなどどこ吹く風、涼しい声をあげて歩き出すのです。
そんな芸商人たちが行き交った京の町。
クーラーの吐き出す熱風も、コタツが町なかを走っているような車も無い時代、今よりはずっと涼しかったでしょう。
それでも大きな屋台をかついでの炎天下の商いは大変だったはずです。
昔の芸商人に想いをはせ乍ら、今日も稽古場は動いています。

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『 やがて八月 』

七月の京都は祇園祭一色にぬりつぶされる。鉾町以外の方々にとってはかかわりない事だろうが、それでも街中が祭礼の雰囲気になるのは、これも又、伝統の力だろうか。

そして八月。子供たちにとっては何よりもうれしい夏休みである。甲子園では今年も又、高校球児たちの熱い戦いがくりひろげられ、沢山の涙と感動を日本中に与えてくれるだろう。
又、津軽平野のねぶた祭り、山形の花笠踊り、阿波踊りなど、各地で夏祭りが華やかにくり広げられる。
レジャーに祭りにと、日本中が浮きたつ季節である。
その同じ八月、七十年前に日本は敗戦の日を迎えた。八月六日広島に原爆投下、続いて九日には長崎に。双方の犠牲者は累算三十二万五千人、そして今尚その数はふえ続けている。
海外で散った生命は二百六十万人。国内でも五十万人を超える人たちが尊い生命をうばわれた。
勿論、この数が、全てではない。何らかの形で戦争の犠牲になった人たちの実数はもっと多いはずである。
そんな戦争がやっと終わった八月十五日。奇しくもその翌十六日、京都の五山に大文字の送り火が点される。お盆の十三日に迎えた祖先の霊が、迷うことなく冥界に戻られるようにと念う心の送り火である。
偶然にもせよ、終戦の翌日に点される大文字の送り火に、戦争で亡くなった人々の冥福を祈る方は今も少なくないはずである。

レジャーに湧き立ち、華やかな行事に彩られる八月だが、秘めやかな祈りの月でもあることを、今に生きる私たちは忘れてはなるまい。

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『 祇園さんの神威 』

十七日、奇跡的といっていい状況の中で山鉾巡行が行われました。他所では増水、氾濫、山崩れ ―― 痛ましい被害が相ついでおこっている最中に、京都は何と恵まれているのでしょう。
鉾町の方々なら「これこそが祇園さんの神威」と、胸を張っておっしゃるでしょう。
それにしても、ニュースを見乍ら感心していたのですが、「小雨決行・大雨強行」―― これが巡行の時の決まりごとだとか。「雨くらいへっちゃらですわ」―― おだやかな年配の男性のこの言葉に思わず笑いを誘われました。
降りしきる雨の中をずぶぬれで歩いてられる方、鉾を廻す方、舞われる方、全ての方の真剣さに、このお祭りにかけられる心意気が感じられ、普段とは又違った感慨をもって見守りました。
巡行から戻ればすぐ解体、巡行で集めた沢山の「汚れ」を他へ散らさない為、すぐにとりこわすのだとか。

祇園祭には、私たちの知らないことがまだまだあるようです。

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『祇園祭』

四条通りをはじめ辻々に鉾が立ち、祇園祭の気分が一気に高まっています。毎年巡行の日が晴れてくれるかどうか心配する時期ですが、今年はどうやら台風が来るのが確実らしく、沢山の方々の念いも通じないようです。
この日をめざして京都へ来られる沢山の方々、そして精魂傾けて巡行が無事執り行われるよう精進される鉾町の方々の為にも、晴れてほしいと京都人なら誰もが思うことでしょう。せめて二十四日の後祭りは、順調に行われてほしいと願います。
それにしても一ヶ月、丸々続くお祭りって、他所にもあるのでしょうか。本当に京都らしいというか、気の長い(なんていうと失礼ですが)、悠久の時の流れを越えて来た古都に相応しい、格式高いお祭りです。

ふと空を見ると、梅雨が上ったのかと思えるような、白い雲がむくむくと空高く伸び上っています。そうであったらいいのにと思いながら夕焼け近い空を眺めています。

般若林の庭は沢山の緑が、少しうっとうしいくらい枝葉を伸ばしています。
昔はこういう状況を、「散髪ぎらいの男の子のようだ」と表現したものです。今はそんな男の子はまあ見かけません。それだけみんな、おしゃれになったのでしょう。
紫陽花はすっかり力を無くし、変わって萩が「さあ、自分たちの季節」とばかりにふさふさと枝葉を揺らしています。チラホラ紅い花も見られ、間もなく一面にこぼれ咲いてくれるでしょう。
中庭の桜も楓も柿の木も、濃い緑で頭が重たげです。
大変なのは裏庭です。広場一面草が伸びて地面がほぼ見えないほどの茂り方です。雑草という草はないとはいえ、この草たちを何といえばいいのでしょう。中には子供の頃の遊び相手だった猫じゃらしも見られます。せっかく元気に育っている草たちですが、秋の公演までにはすっかり刈り取らなければなりません。とても人の手だけでは抜けず、毎年何度か草刈り機の助けを借りて、少しずつ整理し、最後は人の手で、公演当日には黒い土の庭になるようにするのです。
未だしばらくは草たちの天下、せいぜい元気に、自分たちの生命を生きていてほしいと思います。
それにしても終日野外劇というのは大変な労力を必要とする公演です。
「何故やるのか」、その意義を忘れては絶対にやれない厳しい公演です。始まった時の“志”を常に胸に抱き、日々公演に向かって歩みをすすめています。

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『可愛いお客さま』

つい先ごろ、塾に可愛いお客さまがありました。
宮崎県綾町 綾中学校の生徒さんです。
修学旅行の研究テーマに“京ことば”を選び、いろいろと調べた結果、KBS京都で京ことばの良さを伝える番組のあることを知り、局に連絡、プロデューサーに連れられて、その番組を担当していたおさだ塾へ来られたというわけです。
かなり前から連絡を受けていましたから、その日を楽しみにしていました。
思った通り、赤い頬っぺの可愛い少女たちでした。
十三才!! 青春の入口にさしかかったばかりの生命の輝き、若さのエネルギーに改めて感動した時間でした。
こちらの話すことを一言一句聞き逃すまいと懸命に耳を傾け、メモをとる指の動きの少したどたどしいのも若さのあかし、プロデューサーにうながされて質問する口調も何もかもが愛らしく、本当に楽しいひとときでした。
来年度から始まる「京ことば講座」は、おそらく経験豊かな人生の達人の方々が多い講座になると思います。十一月のプレ「京ことば講座」にどんな方々が来て下さるか、たのしみです。

相国寺様のお池の蓮が、今、次々と開いています。朝早くから蓮を楽しむ方々がよく来られるそうで、これからしばらくが見頃だと思います。お時間のある方、是非一度、御はこびになっては如何でしょう。どの蓮にも名前がついていて、それを見るのもたのしみの一つです。
白光、 黄玉、 巨椋の曙、 緑の里、 楚天祥雲、 八重茶椀蓮、 仏座蓮、 又「白君子」などという、女性に憧れられそうな名前の蓮もあります。「酔妃蓮」は楊貴妃の、帝を待つ淋しさをまぎらわせる美しい姿を連想させる名前です。
じっくりと見て廻られると、きっと心がやすらぐ楽しいひとときになると思います。

間もなく夏休み。大学に出講している三人も、これからはいっそう稽古に打ち込めるでしょう。
秋の公演が楽しみです。

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『ラジオ放送今昔』

少し古い話をしよう。
戦後、日本が復興の歩みを一段と強くしていったころ。マス・メディアは新聞とラジオだけだった。
ラジオといってもNHKだけ。大阪BKは今年開局九十周年、京都OKは今月二十四日で八十三周年を迎えた。
そして昭和二十六年、民放が新たにスタートした。何分、ほとんど経験のない人間が、未知の事業に立ち向かったのだから、それこそテンヤワンヤであった。まして重役たちは現場の事など全く御存知ない。「一時間ドラマの録音に何故三時間も四時間もかかるんだ。一時間で取れ」―― 。こんな小言はしょっちゅうだった。
当時、録音の為のテープはとても高価なものだった。だからテープを切るなんてことは御法度、ドラマの収録中にもし誰か一人が失敗しようものなら、又、一から取り直しをしなければならなかった。失敗部分のテープを切ってつなぐなんて事は出来なかったからだ。だから俳優たちは大変である。もし自分が失敗したら全員に迷惑をかける。ピリピリしながら、それでもお互い気持はよくわかるから、誰も文句はいわなかった。
長丁場の時など、大物の人たちの中にはザブトンを持ちこんで、スタジオの片隅で横になって休む人もあったほどである。
効果音も、ディスクなんて便利なものはなかったから、全て手づくり。ミキサーの人たちの苦労は大変なものだった。ミキサーの手の足りない時は俳優たちも協力して音づくりを手伝った。深夜、寝静まった街へ出て、道路の真中に敷石を並べてジャリを撒き、その上を研究生の女優さんに下駄で走ってもらって「土道を小走りで行く」音を取ったり、火事の時には、布を張った大きな糸くり車のような道具を廻すといろんな風の音がでる。更に束ねた割箸を手でねじり、そのバリバリという音で火事の爆ぜる音を出したり、丼鉢を幾つも落としてガチャガチャ物のこわれる音を出したり ―― 。局の近くのうどん屋さんは、災難であった。
機能第一の今の現場とは違って、のどかというか、無器用で鈍くさいながらも温かい血の通う現場であった。

BKでは九十周年記念の行事で、昔のものの再放送(映)がいろいろとあるようだ。久しぶりになつかしい名人芸にふれられることだろう。

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荒々しいお天気

梅雨の晴れ間という言葉がありますが、今年の梅雨は本当に「楽」といっていいのかどうか、長く降り続くということがありません。もっともそれは自分の身近な地域に限ってのことで、九州や関東、東北の方々は酷い風雨に苦しんで居られます。どうしてこんな荒々しい気候になったのか、人間の心の荒みがそのままお天気に写されているのでしょうか。長く四季のうつろいを愛でて来た日本人にとって、本当に辛く、哀しく、「何に対して」とはいえないのですが、申訳なさのような思いに駆られます。昔の人が、天災は全て人の招くところと思われた心が、少しはわかるような気がします。おだやかな四季が一刻も早く、戻って来てくれることを念う心でいっぱいです。

さて、間もなく暑い夏が来ます。お陰様で般若林は、夏でもクーラーいらずの素晴らしいところです。それでも二階の稽古場は、南も北も一面ガラス窓、一階の涼しさがウソのような熱風にさらされます。
「町かどの藝能」の稽古には理想的(?)な自然の空気につつまれて、皆、汗を流すことになります。今は未だ何といっても梅雨の中、「この涼しい間に」―― と、時間を作っては稽古に打ち込んでいます。

「絵本の読み聞かせ」講座も少しずつ、どんな相手にどんな気持で話すのか、その為の抑揚や間、強弱など、専門的なことが増えて来ます。受講生の方は皆、意欲的な方々ばかりなので、とても楽しく、又厳しい時間を持たせていただけます。
「教えることは自分が学ぶこと」と、皆、実感しています。
四条センターの皆さんに感謝感謝です。

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『 雨 』

去る六月三日に近畿地方もつゆ入りしたようで、予報通りの曇りや雨の日が多くなりました。これから一ヶ月程、湿度の高いじめじめしたむし暑い日が続くのではないかと思うと、気分も滅入りがちです。
けれど、雨も亦いいもので、しとしと降るやさしい雨を受けて、色鮮やかに咲き匂う紫陽花には、安らぎを覚えます。
般若林の紫陽花も咲き始めて、しばらくたのしませてもらえます。

「つゆ」は「梅雨」とも、又「黴雨」とも書かれていますが、どちらもこの時期のことを、上手くいいあらわしているなあと思います。
もう一つ、「栗花落」と書いて、「つゆり」とよみます。つゆいりの頃に栗の花が落ちて実を結びはじめるからだそうで、事実「栗花落(つゆり)さん」という苗字もあるそうです。

私どもが公演活動している『町かどの藝能』の「蛇の目売り」の唄に、「数え上げれば百八つ・・・・・」と、雨の名前が沢山出て来ます。春、夏、秋、冬それぞれの季節に降る雨、降りそそぐ様子や人のくらしと結びつく雨、雨、雨 ―― 。
雨だけではなく、日本の言葉には状態や、意味、情景などを、きめ細かく、美しく、豊かに表わしているものが五万とあります。日本語はほんとうに素晴らしく、奥が深いと胸を熱くします。

今、十月公演の『町かどの藝能』(四十一)の稽古に入っていますが、湿度の高い日は三味線、太鼓の稽古はひかえなければなりません。たたくと皮がのびてしまうので。
数ある演目の一つ一つをよりきめ細かく研き上げていかなければならないので、初心を大切にしながら、稽古を積み重ねています。

むし暑く、不快指数の高い日もあろうかと思います。大切な御身体です。水分を十分に補給しておいとい下さい。

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『燕』

今年も燕が帰って来ました。
南の国から長い旅路を、元気でよく帰ってきてくれたなとうれしくなります。
去年いた燕が同じ巣へもどって来るのはほんとうに驚きです。よくまあ憶えているものだと感心します。
今年はその巣の隣にも、一つ新しいのが出来ています。
二つの巣には四、五羽の雛が、親の持って帰ってくれる餌を今か今かと待っています。
親燕は帰って来ると、必ず巣の近くで宙返りをします。すると今まで静かだった雛たちが一斉に声をあげ、口をいっぱいに開けて餌をせがんでいます。親燕は片時も休まず、せっせと餌を運んで雛たちをはぐくんでいます。その様子は健気で、いとおしくなります。
三週間もすれば雛たちは成長して、巣立って行きます。親燕は立派につとめを果たすのですね。
燕の世界には「認知症」もなく、親の「子育て放棄」や「虐待」がないのだと、しみじみ思います。

日本列島は火山の爆発的噴火や、海中でのマグニチュード8.1の巨大地震で全国的に揺れています。
「何卒大きな災害が起こりませんように」と念じるばかりです。
『絵本の「読み聞かせ」をたのしもう』の講座は二回目をすませました。全員出席で、皆さん真剣にとり組んでられます。
いつも乍らこちらが教えられることも多く、感謝と共に責任の重さを感じています。

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NHKの朝のドラマ

四月からはじまったNHKの朝のドラマに、輪島塗りのことが取り上げられている。
かつて、ある輪島塗りの職人さんに、テレビのアナウンサーが質問していた。
「とても質素な生活をなさっているようですが、せいたくをしたいと思われたことはありませんか」―― 。
アナウンサーの不思議そうな質問に、その職人さんはボソッと答えられた。
「ぜいたくいわれても、したことがないから、わからん―― 。
何の気負いもてらいもなく、一言そういうと、又、黙々と仕事を続けてられた。
その時の、胸に刃を突き刺されたような痛みは今も忘れられない。
永六輔さんなどもよくおっしゃっているが、本当に、もっともっと「職人といわれる方々を大切にしてほしいと思う。

又、少し前の「マッサン」では、ウイスキー造りが取り上げられていた。
これも何かのドキュメンタリー番組で見たのだが、ウイスキー造りの職人さんが沢山並んだ原酒の樽を愛しそうに撫でながら、
「今、仕込んだこの原酒が、何十年後にどのように育っているのか、成長した姿を私たちが見ることは出来ません。
けれど、先人たちが素晴らしい原酒を残してくれたからこそ、今の私たちが美味しいウイスキーづくりに挑戦することが出来るのです―― 。
自分たちのこの原酒も、いつかそんな喜ばれるウイスキーになってくれるであろうことに、限りない夢と希望を感じてられるその言葉は、こよなく美しかった。
少しでも早く、少しでも便利なものを追い求める今の世の中にも、それではどうしてもつくれないもの、生み出せないものがあることを、改めて考えさせられる。

我々の追い求めるものも又、早く便利にではどうすることも出来ないものである。少々苦しくとも辛くとも(あまりそうは思わないのだが)、好きな道を誇りをもって歩める者は、やはり幸せ者といえるだろう。

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