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『 暑いですね 』

ここしばらくの猛暑つづきに、かなりうだっています。
京都の夏は暑いと、よくわかっているのですが、それでもついぐちをいいたくなる、うっとうしい暑さです。カラッとした真夏の暑さが恋しくなるほどです。
それにしても変な気候というか、梅雨なのかどうかもわかりづらい、いやな近頃です。でも豪雨被害にあわれた方々を思うと、とても愚痴は云えません。
災害の少ない京都に、感謝あるのみです。

「絵本の読み聞かせ」講座へおこし下さる方々は、暑い最中(さなか)にお宅を出て、会場へおいで下さるのですから、そんな時季に講座設定したことが申訳なく思えます。それでもいつも皆様、元気なお顔を見せて下さって、本当に力をいただいています。「この講座をとってよかった」と思っていただけなくては申訳ないと、あらためて感じて居ります。
それにしても梅雨はもう上がったのでしょうか。
むしむしとした夕方近い日差しをみていると、そうも思えませんが ―― 。

稽古の方は一寸みんな中だるみのようで、もう一つ気勢が上がりません。無理もないとは思いつつも、けっこうイライラしています。
般若林のお庭は、今、萩の花が満開です。うっとうしいほど茂った葉の間に、チラチラと紅い花をみせて「こぼれ咲く」にふさわしい様子です。花梨は小さな実をつけています。甲賀市様からいただいた「ろうばい」は、暑い中、葉っぱがしおれて見えますが、それでも元気に大きくなって来ています。
自然がいっぱいの般若林ですが、さすがにみんな一寸「くたびれ」が見えます。それでも自然は力強く涼風の立つのをじっと待って耐えています。我々人間ももうひとふんばり、心をもち直して秋の公演に向けてがんばりましょう。

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『自然はえらいねぇ』

六月下旬から咲きはじめた相国寺様のお池の蓮が、今まさに真っ盛りです。
他の花のように色数こそ多くありませんが、それでも紅蓮、白蓮、そして黄味や青味を帯びた蓮たちと、それぞれの趣きも鮮やかに、豊かに、でも静かに咲いています。
お池の面(おもて)だけでなく、廻りにもぐるっと大きな鉢が並んで、見事です。
未草(ひつじぐさ)ともいわれる睡蓮のように、朝開いた花が午後三時ごろ(未の刻)にはおおかた花びらを閉じてしまいます。そして翌日、また花を開くのですが、三日目になるともう閉じる力が無くて、そのままはらりはらりと花びらを落していきます。
時折り、花びらを開いたまま、散る時を待っている蓮を見ると、なんとなく切なくなります。でも花は、花としての使命を終えて散るのですから、満ち足りているはずです。感傷的に観る自分の方がおかしいことはわかっているのですが ―― 。これも人間のおごりでしょう。

かつて、永平寺の管長様で百四才でいらした老師様が、「自然はえらいねぇ。誰もみていなくても、咲く時が来たら黙って咲いて、散る時が来たら黙って散っていく。ほんとに自然はえらいねぇ」とおっしゃったことがあります。
同じ言葉でも、このようなお方がおっしゃるとほんとうにそのままに、有難い思いで享けとることが出来ます。今の修業よりはるかに厳しい修業をずうっと積み重ねて来られたお方の年輪の凄さといっていいのか、おだやかなお話しのなさり方の中に、言葉では説明できない真実の存在を無条件で感じさせていただきました。
今もその時の感動感銘は鮮烈に心の中に在ります。
「立派な御方」というのは、自分が知らないだけで世の中には沢山いらっしゃるのだと思います。
そんなお方に、そのお言葉に、そのお心に、出逢えることが何よりの宝と、今生きているものの得られる最高の珠玉のような宝だと思って居ります。

こんなことを思い返させてくれる相国寺様のお池も亦、かけがえのない素晴らしい処です。

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『盛夏が待ち遠しいです 』

七月に入りまして梅雨も末期になりました。
京都は例年より雨は少ないように思いますが、降ればゲリラ豪雨のような激しい雨で驚かされます。暑さも極暑と思えるもので、その上に湿度が高く最悪の状態です。早く梅雨が明けてカラッとした暑くても気分のいい真夏になってほしいです。

おさだ塾では秋の『町かどの藝能』の準備と稽古に入っています。今年は十月十三・十四・十五の三日間行います。その日のために演目の事、稽古の事、芸商人の商う商品の事、茶店の事等打ち合わせをくり返しています。来て下さるお客様に如何に心地よく「心の糧」となるお土産をもって帰っていただけるかと、細かく具体的に練っています。

一般参加募集の締め切りは、七月十日です。(少し延長しました)
『町かどの藝能』の芸商人として修業を積み重ねての稽古を終了して十月の公演に参加してもらうのですが、参加された皆さん、「今までに、一度もした事のない体験をした」「自分を見つめる事が出来、新しい自分が生まれたような気がする」等といわれます。今年はどの様な人が来られるかたのしみです。

「絵本の読み聞かせをたのしもう」も三回終わりました。受講生の皆さん、ほんとうに熱心に話を聞き、素直に絵本を読まれて、聞き手の人たち(受講生同士)に自分の心を喜びをもって伝えてられます。真剣ですがとても明い楽しい雰囲気の中で、成長して来てられます。

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『六月に入りました 』

六月に入りました。五月末の真夏なみの暑さには、身体がついていけなくて閉口しましたが、今は大へんさわやかで、朝夕は上着を一枚重ねたくなる肌寒さを覚えます。

木々も若葉から青葉になり、緑の季節になりました。東山、北山を臨むと緑の濃淡が美しく、眼にやさしさを感じます。
塾へ通う道 ―― 烏丸通りから相国寺北門前通りにあるお寺の塀添いに歩くと、草木のむせかえるような熅(いきれ)が鼻をつきます。今、まさに草木が精一杯力を出して、のびよう、生きよう、成長しようとしているのがうかがえます。
私たちおさだ塾も亦成長する機会をいただきました。五年程続けている「絵本の読み聞かせ」です。佛教大学四条センターで、四月から月一回、月末の土曜日に『「絵本の読み聞かせ」をたのしもう』の講座が始まりました。受講生の方々は大へんたのしみにして来て下さってます。皆さん、真面目で真剣に取り組まれています。半年後の九月には皆さん、それぞれが個性ある味わい深い「読み聞かせ手」になって下さっているだろうと、たのしみです。それだけに私たちも、皆さんの熱意に応えられるだけの心で指導するための努力を積み重ねなければならないと思っています。

おさだ塾では毎年十月に公演します観客完全参加の終日野外劇『町かどの藝能』の準備に入りました。追い追いお知らせしていきますが、先ずその一つは、「一般参加者の募集」です。一般の方々 ―― 生徒さん、学生さん、社会人、主婦の方、十五才から三十五才までの健康な方なら男女を問わず応募出来ます。『町かどの藝能』の江戸時代の芸商人として、おさだ塾のプロの俳優と一緒に参加出演出来るのです。締切りは六月三十日です。
お問合せは 電話075-211-0138 おさだ塾まで。

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『 たそがれどき 』

雀たちが遊んで居ます。
相国寺様のお池のほとり。地面に降りたり樹の枝に止まったり、仲間とせわしなく飛び交って、とても楽しそうです。立ち止まってしばらく眺めていると、すぐ目の前の金網に一羽の雀がひょいと止まりました。本当に目と鼻の先です。すぐに飛び立って仲間の中へ戻りましたが、なんか自分も仲間に入れてもらえたようで嬉しくなりました。単純ですね。
相国寺様の境内は、そう大きくはありませんけれど、とても豊かなところです。小鳥や小さな動物たちの天国で、今日は久しぶりに鴛鴦の番にも逢えました。それぞれが、あっちへ行ったりこっちへ来たり、でも一寸すると又一緒になって泳いでいます。雀たちに気をとられていた間に、なんと、雄が石橋の上に立って羽づくろいをしているのです。「おしどりって歩けるの?」――
しばらくして自分の間の抜けた疑問に思わず笑ってしまいました。鴛鴦だって卵を産んで雛を育てなきゃならないんですから、歩けなくては困りますよね。
そんなこちらの自問自答に何の関わりもなく、彼は悠々と毛づくろいをしてはブルブルっと羽根をふるわせ、本当に気持ちよさそうです。それにしてもどうのようにして水から橋の上へ上がるのか、一寸不思議です。いつまでも見ているわけに行きませんからその場を離れましたが、どうにも気になって、帰って来てから簡単な辞書で調べて見ました。
なんと驚いたことに鴛鴦は「好んで高い木の洞の中に巣をつくる」のだそうです。水の中にいるイメージしか持っていなかった自分のあまりの無知さに、改めておかしくなりました ―― というより、自分が常に関心を持っていることにしか心を向けない己の貧しさに、ちょっぴり疼きを感じています。
相国寺様のお池は本当にいろんなことを教えてくれるところです。

上の稽古場から声出しの声が聞こえて来ます。おそらく「読み聞かせ」の稽古をする為でしょう。
いつ聞いても稽古場からの声は嬉しいものです。

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『 暮春 ― 若夏 』

般若林のお庭は今とても華やかです。白いさつき、紅いさつき、奥の方が紅色で、外側は白いさつき、いろんな「さつき」が一斉に咲き誇っています。
その足元にはシャガが、可憐な姿を見せています。「こでまり」も今まさに満開、つつじも負けじとがんばっています。杜若は成長が遅く、心細い葉をひょろひょろと伸ばしています。土がやせているのかずっと細いままで、一寸可哀想に思える様子です。
でも、おさだ塾創立者の長田先生が植えられた杜若ですので皆で大切に見守っています。
青もみじも爽やかな緑に輝いています。

相国寺様のお池の住人(?)が次々と入れ変っています。鷺が一向に姿を見せなくなり、代わって鴨が増えました。でもその鴨同志があまり仲良くないのか、時折り羽根をバタバタさせて蹴り合うような様子をみせたり、時には追い出されて逃げる鴨も居ます。のどかだったお池にも、その時々の変化によって、人間界並みのもめ事があるのでしょうか。
鴛鴦の番がこのところ姿を見せないのも一寸心配です。
そんな中でも亀たちはまわりの様子に関わりなく悠々と普段通りに石垣の間で休んでいます。
うれしいのは、蓮の花の大きな鉢が、今年も又満々と水をたたえて、池のまわりに並びました。池の中にも沢山の鉢が沈められています。夏になると毎年美しい花を咲かせてくれて、近隣に住む皆の大切な楽しみの場になっているのです。
中には遠くから、わざわざおいでになる方もあって、近くに住む私たちまで、一寸得意になれる季節です。

多くの方々にとってたのしい連休も、私たちのような仕事のものにはあまり関わりなく、あちこちのお休みの所の多さに不自由を感じるくらいです。でもこんな折りにこそと、基礎稽古や読みの課題に、そして秋の「町かどの藝能」の稽古に励んでいます。
今年は長田先生の生誕百年の節目の年でもあり、いっそう稽古に身が入ります。
公演は、十月十三日(金)・十四(土)・十五(日)です。
どうぞ皆さま、お揃いで是非々々おはこびいただけますように。心より、お願い申上げます。

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『 雪柳 』

桜に気を取られている間に、雪柳が見事に咲いて、まっ白な花房がゆらゆらとゆれています。「雪柳」ってほんとに上手に名前がつけられているなと思います。人工では雪の『白』は出せないそうですが、雪柳の白はどうなのでしょう。そばに雪がないのでくらべようもありませんが、昔の人の目はたしかです。きっと同じか、そうでなくてもとても近い白なのでしょう。
自然界にあるものでは、雷鳥が冬色の白になると、まったく雪と同じ色になるそうです。雪の白と見別けがつかず、そのおかげで天敵の目から身を守ることが出来るのだそうです。戦う力を持たないやさしい雷鳥に、神様が授けられたとても素敵な身を護る力です。夏場は周囲の草木や山の土や岩と変わらない茶っぽい色の羽根になります。
創造の神様は本当に偉大ですね。

椿の花が、ポトン、ポトンと地面に落ちています。しばらくはこのまま、あるがままをたのしみましょう。

四月十五日、出演してくれた子供たちを招いて、一寸した「お別れの会」をやります。それまでに子供たちには、参加して「思ったこと、考えたこと、感じたこと」を書いて参加したことの整理をしてもらっています。大人たちは子供たちに一寸したお話しとか小さな劇をやって、もてなすつもりのようです。本当のもてなしになるのかどうかはわかりませんけれど・・・・。
それにしても本当に子供たちの成長は楽しみです。毎年、いろんな子供たちに出演してもらいますが、いつもいい刺激と感動をもらへます。そしてその子供たちがどんどん成長して行く姿が見られることはとても幸せです。子供たちは「未来」そのものですから。
来年も又、どんな子供たちに出あえるか、今からたのしみにしています。

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「小さな劇場」をおえて 』

おさだ塾の春の小さな劇場公演 その三十「愛」――。
初日三月三十一日はあいにくの雨もよいでしたが、それを押しての御来場をたまわり、心より感謝致して居ります。幸い四月一日、二日は好天に恵まれ、絶好のお出かけ日よりになりました。でも、暗い劇場の中より明るい日ざしの中へ心が向くのは無理からぬことと、いささか痛し痒しの思いで居りました。
それでもいつものなつかしいお顔も沢山お見かけし、年月のつみ重ねの有難さをあらためてかみしめて居りました。
いろいろ不行届き、御無礼もあったと存じますが、なんとか大過なく三日間をおえることが出来ました。本当に本当に有難うございます。お客様はじめ関わって下さった全ての方々に心より御礼申上げます。

今年出演してくれた三人の子供たちも皆すっかり仲良しになり、きっとこれからもいいお友達でいてくれるだろうと思います。本当にいろんな方々に助けていただいての公演でした。どんな出会いが、その人の人生に、どんな影響を及ぼすか、それは誰にもわからないことですが、何か不思議な深い関わり合いの生じていることを感じさせられて、感慨深いものがありました。
演劇は人と人の心のやりとりから生まれます。そして舞台以上にそれに関わる人々にも深い影響を及ぼします。いい御縁が、一人でも沢山の方々との間に生じ、育ってくれることを心から願って居ります。

般若林の桜も間もなく満開です。公演の時は「もう咲きたい、もう咲きたい」の蕾たちがざわめいていましたが、公演が終わった途端、一斉にほころびはじめました。表庭も裏庭も中庭も、見事に足並みを揃えています。ここ一週間ほどが見頃だと思います。よろしければ是非お花見にいらして下さい。お声かけ下さればコーヒーくらいは御馳走出来ると思います(あまり美味しくありませんけど)。うちのコーヒーは他所の方からするとかなり薄め(軽めではなく)だそうです。でも「いれたて」は召し上がっていただけますので、是非是非お声かけ下さい。

四月二十二日(土)から「絵本の読み聞かせ」講座がはじまります。(於 佛教大学四条センター / 四月二十二日~九月三十日)
心にズキンと来る素敵なお話と、短い単語の羅列のような、単純な(それだけにむづかしい)お話しの二本を用意して居ります。出来る限り受講して下さる方お一人お一人にかけられる時間を多く持ちたいので、いつも二組に分けて、十五人ずつで授業を受けていただけるようにして居ります。そういう事が出来るのもおさだ塾が劇団である強味だと思います。
講座に来て下さる方々も、皆さん知性豊かな方々ばかりで、いつもこちらがいい刺激をいただいています。こういう機会の持てることが本当に有難く、感謝、感謝です。
社会への還元を目指してられる佛教大学四条センターの活動にも心からの敬意を表します。
こらからもいい御縁を持ち続けられることを心より願って居ります。
いい御縁をいただけてこその私ども、これらからももっともっと、多くの皆さまといい御縁をいただけますことを ―― 。

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『見えるもの、見えないもの 』

三寒四温という言葉があてはまるのかどうかわかりませんが、本当に日々の気温の変化にふりまわされます。自分では気づかなくても必ず体は無理をしているそうですから、なるべく逆わず、がんばってる心身を労わってやりましょう。

それにしても春というのはやはりいい季節ですね。冬の間は枯れたような木にも新芽がちょっぴり乍ら芽吹いています。古枝の先には今年新しく延びた枝が、初々しい紅色を帯びて、大空を目指しています。枯れたようだった柳の枝も、ずい分緑の感じに染まって来ました。小鳥たちの声も心なしか艶めいて聞こえます。間もなく訪れる「春」にむかってあらゆる生命がぐんぐんふくらんでいるのを感じます。

春の公演「愛」の稽古も徐々にすすんでいます。今年も三人の児童が出演しますが、いつも乍ら、子供の純真さ、純粋さに心をあらわれています。よく見かける大人子供のような、或る意味世間ずれした子役といわれる人たちとは一味も二味も違う、本当に子供らしい子供たちです。稽古に入る前の「洗心」(白紙の心で稽古にのぞむ為)、そして全員への挨拶からはじまって、終っての「洗心」、先輩たち一人一人への礼、そして自分たちの使ったものは自分で片づける(おざぶとんやお湯のみなど) 彼や彼女らの姿に、時折見学に来られた親御さんは目を見張ってられます。「お家ではしないでしょうね」といいますと、「しません、しません」と手をふっておっしゃいます。でもそれでいいのです。いつか塾でやっている事が役に立つ時が必ず来ます。そして塾でのしばらくの生活が、彼や彼女の人格形成に少しでもプラスになってくれれば、これほど嬉しいことはありません。

毎年、子供たちにいやされ、励まされ、反省させられ乍ら、大人の人たちもがんばっています。
認知症の人物に生きる女性は、「いつも身近で見ているのに、さてとなると手も足もでない」となげいています。(彼女は介護の仕事もしています)。
人間、常に見ているようで見ていないものが本当に沢山あります。建物一つでもこわされて新地(さらち)になった場所を見て、「あれ、ここ以前どんなところだったのかな」と考えますが、まずわかりません。ものだけでなく、見ていないもの、見えていないものが本当に沢山あって、自分の貧しさにいつも悔しい想いをしています。折角神さまにいただいた眼をしっかり見開いて、世の中のことを少しでも沢山(見えないものも含めて)、汲みとりたいものです。

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『 鞍楽ハウディにて 』

草藁生活行も無事におわり、いよいよ春の舞台に向けてダッシュ ―― というところなのですが、実はこの二月十八日(土曜日)に、烏丸鞍馬口にある鞍楽ハウディで小さな発表会を持つことになりました。「絵本の読み聞かせ」や「紙芝居」又、一寸した「ゲーム」など、お客さまも一緒に楽しんでいただけるものです。午前十一時半と、午後一時からの二回公演です。
よろしければお気軽に、皆さまにも御来駕、御参加いただけるとうれしいと思います 。
鞍楽ハウディさんとは長いおつきあいで、かつてうちの児童部に通っていたハウディのお店屋さんの女児が、今は立派なお母さんになって鞍楽ハウディのお店の女主になっていたり、かつてふさふさした髪の方が少し淋しくなってられたり(失礼) ―― 。でもそれだけの年月、お互いに愛着は深くなっています。
一寸した発表会も何度かやっていますから、お客さま方の中にも「あっ、以前にもやったはったなぁ」といって下さる方がきっといらっしゃると思います。しばらくぶりの再会 ―― そんなたのしみもある心あたたまる発表会です。
お近くの皆さまも、少し遠方の皆さまも、ぜひぜひ足を運んで下さいますように。
心よりお待ち致して居ります。
一人でも多くの皆様と、お出会い出来ることをたのしみに ―― 。

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