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『 春の「小さな劇場」』

ホームページ、怠けている間に二月も中旬になってしまいました。遅まき乍ら、おさだ塾の近況をおしらせいたします。つい一昨日(二月十一日)、恒例の草藁生活行を無事に執り行いました。例年通り、上賀茂神社から奥貴船の「ひろ文」さんまで約十キロの行程をわらじばきで歩くというものです。この何十年かの間、一度も天候不順や不測の事態で中止せざるを得ないという事態にもならず、無事に実施してこれたことに、今更乍ら深い感慨と感謝の念を覚えます。天にも地にも、又、支えて来て下さった多くの方々にも、心からの感謝を捧げます。

草藁生活行のあとは、塾に帰って来てすぐ、春の公演の為の稽古です。いっぱい体を動かして、美味しいお食事をいただいて、いろんな方の笑顔にお会いして、塾生皆にとって本当に有難い、幸せな一日でした。

今年の春の舞台は梶田明子の書いた「野々山家の場合」という脚本です。いろんな意味でこれまでとは一味も二味もちがう舞台になると思います。おさだ塾には他にも書ける人が居てくれるので、来年は又、違った人の作品を演れるだろうと楽しみに思っています。

般若林の庭も少しずつ目を覚まして来ています。あらためてゆっくり見て廻りたいと思っています。
自然に囲まれて日々を過ごせるおさだ塾の者は本当に幸せです。自然に励まされ、自然に癒されて、明日への意欲をたくわえることが出来るのですから。
心も新たに、春の公演に向かいます。年々、なつかしいお顔のお客様にお会い出来ることはこの上ない喜びです。更にこれからは、新たなお客様にも大挙してお越しいただけるよう、一層精進いたします。どうぞ一人でも多くのお方様のお運び下さることを、心よりお待ち致して居ります。
公演日時は、三月 三十日(金)午後七時
三十一日(土)午後二時・六時半
四月  一日(日)午後二時
開演です。
是非是非一人でも多くの方々とお誘い合わせの上、お越し下さいますように ―― 。
あふれる熱い心でお待ち致して居ります。

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新年のご挨拶

明けまして
おめでとうございます

平成三十戊戌歳 正月
演劇塾 長田学舎
今年のお正月は晴れやかなお天気に恵まれたおだやかな 新年でした。

初詣の人々も皆、明るい表情でゆったりと歩いています。
こんな日がずっと続けば世界中が幸せになれるのではと思えるような平和な初春です。
せめてここしばらくでも、世界の争いごとを忘れて ―― そんな念いをつぶやいています。

皆々様の佳き日々の、続くことを祈りつつ ―― 。

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『 いつか、きっと 』

発表会の日が近づいて来ました。今も二階の稽古場から日舞の稽古の足音が聞こえて来ます。
なかなか打ち込んでのお稽古が出来ない中で、先輩の花柳美優さんが真剱に指導してくれています。
元来、けっこう自己顕示欲の強い人たちですから、日舞のお稽古はたのしそうです。勿論、名人といわれる方々は別ですが、初心者も初心者、しかも俳優修業の中の一部としか思っていない(?)人たちですから、けっこうたのしそうです。
人にはいろんなタイプがありますが、うちの中だけでもいろいろな人が居ます。自己顕示欲は当然皆、持っているのでしょうが、その表れ方がそれぞれ違っていて、その人の性格がよくわかります。陽性の人、陰性の人、一寸気取り屋の人、とりどりです。
かつて、「歌手」といわれる人たちは、「お客様は自分だけを見ていてくれる(聞いていてくれる)」という、言葉に表せない喜びを感じるそうで、一度経験するともう止められないと聞きました。勿論、全ての人とはいえないかも知れませんが、歌手を目指している何人もの人が、そのようにいっていました。
成功して今も活躍している人、どこかに消えてしまった人 ―― でもその人たちもどこかで歌っているのかも知れません。
どんな仕事であれ、生き方であれ、自分で納得して打ち込めれば、それは素敵な人生です。目的を持って、希望を持っている人は、どんな時でもキラッと輝くものを持っています。うちの人たちも今は苦しくともいつかは ―― と思っているのでしょう、貧乏ぐらしでも皆、明るい顔をしています。人さまに迷惑をかけることなく、自分の好きな道を歩み続けられるのは最高に幸せな人生です。
一寸の虫にも五分の魂 ―― その魂の萎えない事を祈ります。

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『 間もなく発表会 』

北山に靄がかかり、空が暗くなって来ました。東の比叡山には谷間から立ち昇る霧のような雲がかかっています。
時雨月の名の通り、十一月はよく通り雨が走ります。運が良ければ雨の後、七色に輝く虹が見られます。いつも心待ちにして空を見るのですが、このところなかなか虹に出会えず、いささか物足りない思いをして居ます。
秋の深まりとともに、般若林の庭も少し淋しくなって来ました。今年は紅葉があまり美しくなく、中途半端な色づきのままで散ってしまうようです。大きくなった萩の叢も、心なしかしょんぼりしています。でも裏庭の柿の木は、今年も沢山の実をつけて、鳥たちの格好の御馳走処になっているようで、ついばまれた柿の実が、あちこちに転がっています。渋柿ですが、鳥たちにとっては美味しいデザートなのでしょうか。

十二月の発表会の稽古は、どうなっているのか、見ているところではあまり進んでいないようで、いささか心配しています。来ていただく方の為にももう少しギアを上げてほしいなと思っています。もっといいおしらせをしたいのですが、このところ一寸停滞気味です。でも本番になるとガンバルいつもの悪いくせでしょう。胸を張っておこし下さいとはいえませんが、およろしければ、どうぞお運び下さい。「いってられたのとちがうじゃない。とてもよかったですよ」 ―― そんなお声が聞ければ本当にうれしいのですが ―― 。
更めて日時を申します
十二月十七日(日) 午後二時から四時ごろまで
お茶とささやかなお菓子くらいしかおもてなし出来ませんが、皆様のおこしを心よりお待ちして居ります。
どうぞよろしくお願い申上げます。

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『 雨降り 』

今日は雨 ―― 。
雨の日の般若林は とても静かです。自然のままの土のお蔭でしょう、雨のはねる音がしません。でも時折り、雨だれがささやかな音をたてて屋根からすべり落ちます。
ここまで書いて気づきました。灯油ストーブが静かな燃焼音をたてて、部屋に暖をくれていたのです。まわりの音が聞こえないのも、このせいかもしれません。目で雨だれをたのしみ、ストーブでおだやかな暖をいただき、聞こえない音に耳を澄ませる ―― とてもぜいたくなひとときです。

たまたま、テレビで、ゴッホが日本に強い憧れを抱いていたと知り、急に身近な人に感じました。浮世絵や、日本の風景をこよなく愛し、(実際に日本を見たわけではないのですが、いろいろな資料で、とてもよく学んでいたそうです)日本を想い描いて画いたのであろう作品も沢山ありました。
日本の浮世絵が世界で高く評価されているのは 私たちにとってうれしく誇らしい事です。
そういえば以前に聞いたのですが、日本へ観光に来た外国の方の案内を得意とされているタクシーの運転手さんが
「私らも一生懸命勉強してますけど、もう一つ上手(うわて)の、日本を本当によくわかっている外人さんがふえて来て おたおたせんならんことがようありますのや。ほんまに頭痛いですわ」といってられました。
何でもそうですが、競い合う相手が居てくれればくれるほど、自分も成長出来ます。学校教育の場で子供たちに競わせることに否定的な意見も聞きますが、それはその程度によるでしょう。競い合ってこそ成長出来ることは多々あります。良き競争相手を持って沢山の刺激を受けて更に前へ進める人生は 有意義な有難い人生だと思います。

静かな雨から競い合う事へ ―― 何か変な気もしますが、正直な想いです。

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『 おこし下さい 』

雲一つない青空 ―― この言葉にぴったりのお天気が続いています。
ここしばらくすっきりとしたお天気の少い秋でしたが、やっと「あゝ、秋の空」と思える昨日今日です。
おさだ塾では今、十二月の「小さな小さな発表会」の準備に入っています。日頃、なにかとお世話になっているお方、家族、友人など、近しい方々をお招きしての、ささやかな発表会です。
この発表会は塾生たちだけで考え、脚本を書いたり演出したり、お互いか切磋琢磨しながらのびのびと学ぶ楽しい機会です。
「知りあいの方」といいましたが、おさだ塾をご存知で、少しでも興味の持って下さるお方なら、どなたでも大歓迎です。
日時は十二月十七日(日)午後二時から、一時間半くらいのミニ発表会です。
寒い時季になりますが、お茶とお菓子で暖まっていただきます。本当にささやかな会ですが、お一人でも多く御参加下さることを心から希望して居ります。ぜひぜひ御来塾下さい。出来れば事前にお電話いただければ尚、嬉しいです。塾生一同、諸手をあげてお待ちして居ります。

十一月十一日(土)、向日市朝堂院遺跡での公演の稽古も日に日に熱を帯びて来て居ります。寒い稽古場も塾生の熱気で熱くなります。
多少しんどくても、仕事があること、そして目標をもって稽古が出来ることは、最高の幸せです。
「どうして自分から苦しい道を選ぶの」と、よく人さまにはいわれる仕事ですが、やっぱり稽古をしている時が皆、一番輝いています。「楽は苦の種、苦は楽の種」 ―― 昔の方はなんでもよく見てられますね。

これからいよいよ寒さに向かいます。どうぞお風邪など召しませんように ―― 。

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『 御礼 』

ありがとうございました。
第四十三回、秋の「町かどの藝能」公演を無事おえることが出来ました。「無事」といいましたが、初日から雨にたたられた、とてもややこしい公演でした。曇り空ながら、なんとかいけるかな、と思っていると急にパラパラと降って来たり、降りそうだなと思っているとぼんやり日が射して来たり ―― 。
そして最終日、とうとう朝からの雨になりました。小さな劇場公演の出来る稽古場のお蔭で、お客様には舞台上での藝能をお楽しみいただけました。とはいえ年に一度の野外公演を楽しみにして下さっているお客様方には、本当に申し訳ない、不本意な展開をせざるを得ませんでした。心より、深く深くお詫び申し上げます。
来年は必ずやいいお天気に ―― 、とはいうものの、やはり大自然には従うしかありません。それでもなんとか考えて、工夫して、努力して、今回よりもっともっと楽しんでいただける方法を考えておかねばと覚悟して居ります。どうぞ今後ともおさだ塾を応援、御援助いただけますことを、心よりお願い申上げます。

明日からは又、来年に向かって、又、十一月十一日の向日市での「町かどの藝能」公演に向けて、改めて前進致します。その日の晴れてくれることを祈りつつ ―― 。
有難うございました。

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『 雨降り 』

午後から降り出した雨が、今も静かに降り続いています。
ゴボッ… ゴボッ… 建物と雨が作り出す規則正しい小さな水音が聞こえるだけで、時が止まってたように静かな般若林。今日は稽古も夜までなく、皆、それぞれに外廻りやチケット販売の為に出払っているのです。
こんな静かなひとときは ほんとに稀で、別の世界に来た感じです。久々の本格的な雨降りで、庭の木や草はぐんぐん水を吸いこみ、嬉んでいるのを感じます。「自然はえらいねぇ」とおっしゃった百四才の高僧のお言葉が折りにふれてよみがえって来ます。お天気続きでも雨つづきでも、一言の不足もいわず、全てを黙って受け入れて、自らの生命を全うする木や草たち。

夏の間、チラホラしか花を見せなかった萩が、このごろになって沢山の花をつけ、大きな草叢になっています。般若林に来た当初、何年間も少しも大きくならず 花もつけず、土が合わないのだろうかとずい分心配しました。それがここ二、三年で見違えるほど大きな草叢に成長し、少しずつ花をつけてくれるようになりました。きっと知らない土に植えかえられて しばらくは様子をみていたのでしょう。そしてやっと、ここが自分の生きる場所と、心を決めてくれたようです。これからは年々、沢山の美しい花をつけてくれるようになるでしょう。

外は未だ雨 ―― 。しばらくは止まないようです。

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『 一会 』

相国寺様のお池の名残りの蓮も、とうとうおわりの時を迎えています。蓮の名前の元となった蜂の巣のような花の跡、それらが皆、南へ顔を傾けています。太陽へ向かう植物の本性が、枯れたような蓮にも見られて、これが自然というものなんだなと改めて感じさせられます。
たそがれ刻の蝉しぐれもすっかり影をひそめました。時折りツクツク法師が「 つくづく惜し、つくづく惜し」と鳴くだけ ―― 。でも今日あたりは、それももう聞けないかも知れません。季節はもうすっかり移っているようです。
「暮六つの読経」と私が勝手に名付けている、たそがれ時の鐘楼からの読経の声が、今までよりよく響くようになりました。時たま、おそらく新米さんの雲水さんなのか、たどたどしいお経の聞こえる事もあり、何かと心楽しませてもらえるひとときです。
以前、それこそまだ鐘楼の上でもお経もろくに読めないような新米さん(多分)が居られて、言葉につまりつまり可哀想なような時がありました。先輩にこずかれこずかれされているんだろうなと思えるお経です。鐘楼から降りて来られる姿をみていると、まず作務衣姿の先輩僧らしき方が降りて来られ僧堂の方へスタスタと歩いて行かれました。一寸間を置いて、黒染めの色も鮮やかな真新しい衣を着た方が降りて来られました。急いで鐘楼の鍵をしめ、先輩僧の後を追うその方に思わず声をかけました。「いいお経でしたよ」 ―― 。ドキッとしたような雲水さんに、「心がありました。すらすら流すだけのお経より、ずっと良かったですよ」―― その方は深々と頭を下げて先輩僧の後を走って追っていかれました。「いいお坊さんになって下さるといいな」―― その後姿に思わずそうつぶやきました。
たそがれ時の相国寺様ではいろんな事に、いろんな時に出あえます。いつもいつも私にとって大切な、心うるおうひとときです。

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『 豊かな自然 』

日本のあちこちで、激しい雨や雷の被害が起こって居ます。京都でも、明け方近くによく雷の鳴った日がありましたが、幸い被害は出ていないようで、有難いことでした。
九月一日は防災の日です。関東大震災のあった日ですが、以前は二百十日と言われていました。又、二百二十日という言葉もあります。前にもいいましたがこの日の頃に大きな台風がよく来るから気をつけよ、といった意味でいわれたのです。
近頃は気候まで気が早くなったのか、夏台風というのが多くなりました。八月に起こる台風被害です。
毎年、胸の痛くなる自然災害ですが、大方のものに良い面、悪い面が在るように、自然現象にも二つの顔があるのですね。
それにしても、昔の人々の自然を見る眼の細やかさ正しさ鋭さ、そして深い「愛」にはいつも感動させられています。自然現象にかかわるいいつたえも、たいていはそうした昔の人の知恵と愛で裏打ちされています。古いと一笑には付せない昔の人の観察眼の鋭さ、正しさにはいつも尊敬の念を感じています。

日本は未だ未だ自然の豊かな国です。日本に生まれてよかった ―― いつまでも、そう思える国であってくれることを心から願います。

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