月別アーカイブ: 2017年2月

『 鞍楽ハウディにて 』

草藁生活行も無事におわり、いよいよ春の舞台に向けてダッシュ ―― というところなのですが、実はこの二月十八日(土曜日)に、烏丸鞍馬口にある鞍楽ハウディで小さな発表会を持つことになりました。「絵本の読み聞かせ」や「紙芝居」又、一寸した「ゲーム」など、お客さまも一緒に楽しんでいただけるものです。午前十一時半と、午後一時からの二回公演です。
よろしければお気軽に、皆さまにも御来駕、御参加いただけるとうれしいと思います 。
鞍楽ハウディさんとは長いおつきあいで、かつてうちの児童部に通っていたハウディのお店屋さんの女児が、今は立派なお母さんになって鞍楽ハウディのお店の女主になっていたり、かつてふさふさした髪の方が少し淋しくなってられたり(失礼) ―― 。でもそれだけの年月、お互いに愛着は深くなっています。
一寸した発表会も何度かやっていますから、お客さま方の中にも「あっ、以前にもやったはったなぁ」といって下さる方がきっといらっしゃると思います。しばらくぶりの再会 ―― そんなたのしみもある心あたたまる発表会です。
お近くの皆さまも、少し遠方の皆さまも、ぜひぜひ足を運んで下さいますように。
心よりお待ち致して居ります。
一人でも多くの皆様と、お出会い出来ることをたのしみに ―― 。

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『美しいもの』

相国寺様の池に、少し前から鷺が住みついているようです。時々大きな声で鳴くのですが、それがなんともいいようのない悪声なのです。同じならもう少しいい声に生まれればよかったのにと可哀想に思うほどです。
それにしてもどうしてこんなにいろいろと姿形(声も含めて)に違いがあるのでしょう。
「美しい」と感じてもらえるものは幸せです。個々の主観に多少の違いはあっても、洋の東西にかかわらず、美しいと思うものと思わないものは共通しているようです。建造物にしろ絵画にしろ彫刻にしろ、どの国のものも美しいと評価されているものはやはり美しく感じます。
誰が見ても美しいものを美しいと感じられるのは、何を基準にそう感じるようになっているのか不思議な気もします。
でもそんなつまらないことを考えるより、素直に感じるままにうけ入れるのが自然なあり方でしょう。たまに、どう見ても美しいとか可愛いとか感じられないものをペットとして飼われたり、好きだという方も居られるのですから、ま、十人十色、いろいろあってこそ、世の中はたのしいのかもしれません。宗教にもいろいろありますが、元はといえば全て人間が生み出したものです。どんな宗教の方でも、又、思想の方でも、親や子供など愛するものを失えば悲しいし、愛する者が幸せであってくれれば自分も幸せだと思います。だからこそ普遍的な人の感情、心を描く演劇や芸術は世界共通、名作は名作として受け入れられ、生き続けているのでしょう。

「人間誰でも、一生に一作ぐらいは名作といわれる作品(小説や脚本など)が書ける」と聞いたことがあります。
「素人は好きな時に好きなものを書けばいい。だがプロは、沢山の制約(時間とか回数とか経費とか)の中で、書き続けなければならない。それも「いい」といわれるものを。それが出来てはじめてプロだ」とも ―― 。それはその通りですが、では好きなものを好きな時に書けばいい人がいい作品をつくれるのかというと必ずしもそうでもないようです。
ただ、こんな理屈にもならないことをひねくりまわしている暇に、なにか「生産」をしなければ、この世に生きている価値もありますまい。人の悪口をいうのは、暇をもてあましている人間だとか。生産につながる暇というのはどうやら存在しないようです。

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『 年の尾 』

十八日の発表会は、直前に風邪引きが続出し、稽古がまともに出来ず惨憺たるありさまでした。
それでも皆さま最後まで御観覧下さり、本当に有難く、又、申訳ない思いをして居ります。深くお詫び申上げます。

俳優は頑健でなければならない。一人でも欠けると全員に迷惑をかけるということは、充分承知している人たちです。それがこの状態なのですから、いいわけのしようがありません。
重ねて心よりお詫び申上げます。申訳ございませんでした。二度とこんなことをくり返さないよう、改めて心を引き締め、来たるべき年に向かいます。どうぞ御寛恕いただけますように。

来年の春の小さな劇場公演の題名は「愛」です。どんな中身なのか、又あらためてお知らせ申し上げます。

混沌たる現代(いま)の世の中が、鶏鳴一声、明るい新しい夜明けとなることを祈ります。どうぞ 佳い お年を ―― 。

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