相国寺境内にある八幡宮に、時折りお参りする事がある。といっても、わざわざにではなく、通りすがりにといった方がふさわしい参り方である。
社殿の前にはお決まりの狛犬が二頭、「阿」と「吽」が向いあって座っている。阿は口を開け威嚇しているようだが、なんとなく愛嬌があってむしろ可愛らしい。吽は名のとうり、口をギュッと結んでこちらをじっとにらみつけている。如何にも「しっかり者」の感がある。眺めているうちに、ふと、かつて恩師が飼ってられた秋田犬を思い出した。
当時は未だ珍しかった真っ白の毛並みで、頭頂部に丸みのある如何にも秋田犬らしい美しい顔の母犬と、その子供(雄)の二頭である。だいたい秋田犬は吠えないといわれているが、たしかにこの母犬は吠えたことがない。優しい顔と、もの静かなふるまいの、実に落着いたたのもしいお母さん犬だった。
いつの夏だったか、彼女が流しのそばの三和土(たたき)の上にお腹をぴったりとつけ、少しでも涼しいように両手両足を広げて寝そべっていた。そこへ、棚の上のものを取ろうとして、うっかり落としたアルミの鍋が、ガンガラガンガン ―― と。彼女の頭にスポンと、かぶさった。だが彼女はおどろいた風もなく、鍋をかぶったまま、じっとしている。その姿に皆大笑いしたが、それにしても度胸の坐った犬だった。
或る時、母子二頭を連れて運動に出かけた時、子供の犬(八カ月くらい)が何かの拍子に吠えた事があった。途端に母親が子供の背中をガブリと噛んだ。「お前は秋田犬だよ。ほえてはいけない」とたしなめるように。とたんに子供も黙り、恥ずかしそうに(そう見えたのだ)母によりそった。
以前に聞いた話だが、家に泥棒が入った時、その家の秋田犬はじっとその様子を見ていて、泥棒が荷物を持って塀を越えようとした瞬間、ガブリとその足に噛みついて、泥棒を引きずり下した。そしてそのままじっと泥棒の前に座って軽くしっぽをふっている。泥棒がもう一度逃げようと動きかけると又、脚をくわえて動かさない。何度かそんな事をくり返しているうちにとうとう夜が明けて、起きて来た家の人がびっくりしたというのだ。
真偽のほどはとも角、「さもありなん」と思える秋田犬らしいエピソードである。