月別アーカイブ: 2015年2月

聖天子

「鼓腹撃攘」という言葉がある。
古代中国の伝説上の聖天子、堯にまつわる物語で、人々が不安なく太平を楽しみ、満ち足りて暮すさまをいった言葉である。
堯は帝位につくと、ひたすら天を敬い人を愛し、民を慈しむ善政を行った。お陰で世の中は平和に治まり、穏やかな日々が続いた。
或る時、堯は「誰も何もいわないが、本当に世の中はちゃんと治まっているのだろうか」と、ふと不安になり、自分の眼で確かめようと、そっと町へ出かけた。

ある町かどで子供たちが歌っていた。「私たちがこうして幸せに暮らせるのは、みんな天子様のお陰」ーー。堯は喜んだ。だが「いやいや、これは子供のうたう歌にしては出来すぎだ。大人の教えた歌かも知れない」と、尚も町の中を歩き続けた。町はずれまで来ると一人の年老いたお百姓が道ばたに座り、たっぷり食べて鼓のようにふくらんだお腹をひたひたと打ち、大地をたたき乍ら歌っていた。「お天道さまが昇りゃあ起きて働き、日が沈みゃ眠る。井戸を掘って水を飲み、田を耕やしてたっぷりくらう。天子さまなど有っても無くても儂の暮しに変りはないさ」ーー。堯の心はいっぺんに晴れやかになった。「これでこそ本当だ、民人(たみびと)が何の不安もなく日々の暮しを楽しんでいる。これこそ、政治が善く行われている何よりの証だ」と、満ち足りた思いで王宮へ帰っていったという。
聖天子といわれるゆえんである。

昨今の世界の状勢を思う時、こんなことはまさに夢物語である。だが真理は永久に真理である。不変の真理を忘れて進歩はない。為政者たる者、心の片隅にでも、こんな物語を置いておいてくれないものか。

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草藁生活行が無事終わりました

窓から入る日差しが、少しずつ長く影を落とすようになって来ました。

二月十一日の草藁生活行、お蔭様で無事に了えることが出来ました。有難うございます。

今年は久しぶりの、又、初めての方の参加があり、とても嬉しい会になりました。
まず、二十数年ぶりに出席して下さった石崎直人氏御夫妻。河田洋志が京都へ出て来てはじめて、長田先生の紹介で行ったバイト先で出会った先輩です。
仕事は一生懸命まじめにしますが、同時に、来られるお客様に片っぱしから声をかけて公演の券を懸命に売ろうとする若冠十八才の河田。世間も知らず、只、熱意だけで夢中になっている彼に「お前は仕事をしに来てるのか、券を売りに来てるのか」と呆れる仲間たち。
そんな彼を温かく見守り、仕事だけでなく世間というものも教えて下さった有難い先輩です。爾来三十数年、ずっと河田を可愛がって下さり、劇団にも何かと協力して下さっています。
次いで、長田純俳優養成所の第一期生で、おさだ塾舞台公演の金字塔とでもいえるような舞台「雲水」で、主人公の若き修行僧を実に美しく演じてくれた辻義博さん。
「町かどの藝能」では若いのに「番頭」の大役を与えられ、後輩の男性陣が華々しく活躍するのを陰からそっと見守り、会場全体に気を配り、穴が開かないよう本当に細やかな気配りの出来る“ほんもの”の番頭をつとめてくれました。
種々の事情で俳優の道をあきらめていた彼に、おさだ塾五十周年記念公演「女人抄」の時、「どうしても出演してほしい。その代り、二度と無理はいわないから」と口説き落とし、出演してもらいました。
特高といわれた、いわゆる思想犯専門の刑事に追われる青年の役です。出番は少しですが、当時の世相と、時代の荒波の中で必死に自らの信念を貫こうとする若きインテリ青年は、彼にしか出来ないと思ったからです。予想通り、本当に素晴らしいシーンを創ってくれました。
のどから手が出るほど帰って来てほしい俳優ですが、約束した以上無理はいえません。そんな彼が俳優としての仕事ではありませんが、塾の大切な行事に久々に、本当に久々に参加してくれたのです。彼を知らない塾生たちも心から喜んでいました。
又、早川典男君の友人の岩本真智子さんが、はじめて参加して下さいました。
去年の秋の公演と十二月の小さな発表会の時、彼に誘われて友人とお二人で来て下さいました。早川君の人柄に相応しい(失礼ないい方ですが)、とても明るくて誠実な方々でした。今回はその友人は御都合が悪かったのですが、それでも来て下さったのです。みんなとも気さくに話して下さり、とても有難かったです。
これからもどうぞ塾と仲良くして下さり、見守って下さることをお願い致します。

なんか、一番しんどかったであろう歩いた人たちのことがそっちのけになりましたが、それは「当り前」の事ですから、ゆるして下さい。

まずは草藁生活行が無事に終わったことの御報告と、嬉しかったことを書かせていただきました。

又近いうちに、他のこともおしらせ致します。

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草藁生活行

二月に入ると俄かに日の過ぎて行くのが早くなります。
二月は「逃げる」と昔からよく言われていましたが、やっぱり昔の人もそんなように感じたのでしょうか。
二月三日はお節分。そして翌日は早くも春が立ちます。
とはいえ、寒さは寒中にもまして厳しいのが常で、二月に降るみぞれは、冬の雪よりも尚、冷たさを感じさせます。
以前、お家の前に置かれたプランターのすみれやデージーの上にみぞれが降り積もり、寒さにふるえていましたのに、次の日、みぞれが溶けると降る前と変らず、元気にお日様の方を向いていました。
川や湖に張った氷が一番厚くなるのも二月とか。そういえば、雪祭りや氷の行事が一番多く行われるのも二月です。
寒い国の人たちが、ふと冬が見せた後姿に、春の近さを感じて、待つ喜びと冬への別れの心が、こうしたお祭りになったのでしょうか。

さて、いよいよ草藁生活行も間近になりました。
男性は上賀茂神社から、女性は川島織物の工場辺りを出発点に、それぞれ一寸した荷物を持って歩きます。
——昔の芸商人はこんなものを持っていたのじゃないだろうか。でも重いものを持っては歩けないしーー
現代人の塾生たちが、自分のひ弱さを改めて実感するときでもあります。でも出来る限り芸商人の心に近ずこうと、一人一人孤独の環境で、寒風
の中を歩きます。
貴船街道の一番奥にある「ひろ文」さんという料理旅館が終着点です。
温かいお風呂で汗や疲れを洗い流したあと、参加して下さった方や、友の会の方々へのもてなしとして、それぞれが一寸した課題や「芸」を見ていただきます。今年は落語か漫才なども有るようです。でも、なかなか褒められるようなことは出来ません。
本来この日は、今年一年がんばった人たちにいろいろな賞が贈られるのですが、ここ何年かは該当者なしで、とても残念な状況です。
おさだ塾の年度始めでもあり、全員が心を新たにする大切な日です。

そのあと、一年に一度の会食となります。
会食のあとは、稽古場に帰って春の公演の稽古をします。稽古のあがりが遅々として進まず、又々叱声が多くとぶことでしょう。
楽しくて、恐い一日です。

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