月別アーカイブ: 2015年8月

『 地蔵盆 』

きのうまで、京のあちこちに見られた「地蔵盆」の行事。
各町内毎に、子供を楽しませる映画や花火、時にはマジックなど、いろいろと趣向をこらして行われる。本来の宗教行事としての色は薄くなっているとはいえ、子供たちにとっては一寸いつもとは違うハレの日である。
夏休みが間もなく終わることを改めて思い出し、出来ていない宿題に「どうしよう」と思うのもこの頃である。残りわずかな夏休みの最後の「遊び」の時、お地蔵様を横目に見ながら、それでも子供にとっては充分楽しい行事だった。
今は、子供の数が少なくなったせいもあって、大人たちだけがテントの中に坐っているような町内も多いという。
この地蔵盆という行事、京都とその周辺以外ではほとんど無いという。
京都では、子供の頃からどこの町内にもお地蔵さんはあったし、祖母や祖父たちは必ず孫を、お地蔵さんの前で掌を会わさせ、頭を下げさせて「まんまんちゃん、あん」と教えたものだ。京都育ちの誰もほとんどが体験している「当たり前」のことが、他所ではなされていないこと、そして地蔵盆という言葉さえ知らないと聞いた時はいささか驚いた。
勿論、お地蔵さんが全くないというのではなく、集落ごとに必ず一体や二体は有ったというし、その多くは村はずれとかに祀られて、道祖神的な性格を持つものが多かったという。
それでも京都のように、町内毎に祀られ、八月の同じ時期に子供たちの為の地蔵盆として賑やかに行われるということは、ほぼ無かったようだ。
最も、地蔵信仰が平安後期に公家貴族の間で広まり、それが徐々に民間信仰として浸透していった過程を考えれば、自然な成り行きかも知れない。地蔵盆がいつごろから始まり、いつごろから普遍的な行事になったのか定かではないにせよ、子供たちのまっさらな心に神仏を敬う心の種を播き、ひいては万物に宿る生命を思いやる心を育てる一助になったことは確かである。
若い頃は、神仏に手を会わせることはカッコ悪いと思った者でも、たいがい年を重ねると、いつとはなくふっと頭を下げたくなるというのも、幼い頃の無意識の記憶のお蔭かもしれない。
釈迦入滅後、未来の世に現れる弥勒菩薩までの気の遠くなるような空白の時を埋めて、衆生済度をして下さるのが地蔵菩薩。子供との結びつきがとりわけ強い日本の地蔵信仰がいつまで生き続けられるのか、ふとそんなことを思わされた。

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『 ゆく夏 』

京の夜空を染めて五山に送り火が点され、この世とあの世をつなぐお盆の行事が終わりました。
いよいよ夏が去っていく ―― そんな感傷がふとよぎります。
一方、甲子園では毎日、球児たちの熱戦が繰り広げられています。
熱戦を中継するアナウンサーの方々も、それぞれに御苦労があるようです。
かなり前のことですが、その方は放送の担当が決まるとすぐ、資料の蒐集・調査は勿論のこと、放送当日には必ず朝一番に球場に入られます。未だ選手たちも観客も入ってない静かな球場を隅から隅まで、アルプススタンドも、選手たちの控えの場も、裏方の部屋も、全てくまなく見て廻られます。全体を掌握していれば何があってもすぐに対応出来るからです。 「選手も監督も応援の人も、皆がそれぞれ全身全霊で取り組むのだから、放送する自分も出来る限りのことをするのは当然」との心構えでしょう。
二週間の熱戦が終わる頃、それまで縦に伸びていた夏の雲が、横に長い秋の雲に変わります。
そして選手も観客も全てが去った静かな球場に、どこからともなく赤トンボの群がやって来て、吹く風にも秋の匂いがする ―― 毎年必ずくり返される熱戦の後の風景だとか。
異常な暑さの続いた今年の夏も、同じ風景が見られるのでしょうか。

般若林では少し前からツクツクボウシが鳴いています。相国寺様の境内ではひぐらしが、そしてツクツクボウシもくまぜみもミンミンぜみも、いろんな蟬の声を聞くことが出来ます。残念乍ら般若林ではひぐらしの声が聞けません。あの澄明な声を聞けたら、暑い稽古場も少しは涼しくなるのですが ―― 。
でも秋はすぐそこ。朝夕の一寸した涼が、それを教えてくれています。

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『 暑さの中で 』

猛暑、酷暑、記録更新 ―― 。
連日そんな言葉が飛び交っています。いつになったら治まってくれるのか、本当に「もう、いい」といいたくなります。
そんな中、日盛りに草とりをしたり、落葉を掃き集めたりする塾生がいます。
「今日は外での作業は止めなさい」といわれても、「はい」といい乍らやめません。
「こんな日に外で仕事して倒れても、“バカだ”といわれるだけだから。早く止めなさい」―― 。何度もいわれてやっとシブシブ止める姿に、本当は感謝しているんですが ―― 。
それにしても暑いですね。皆さまはどんな風にお過ごしなんでしょう。

今、塾の二階の稽古場からは、お三味線の音色と唄声が、聞こえて来ます。暑い中、浴衣姿で、顔をまっ赤にし乍らも笑顔をたやさずがんばっている女性たち。
当り前といえば当たり前なんですが、それでも「よくやってくれるな」と思います。
でも、昔の芸商人さんたちも暑い中、大きな荷物をかついで商いに歩いたはずです。

「町かどの藝能」の中に「風鈴売り」という商いがありますが、大きな屋台をかついで、IMG_0785
風鈴の涼やかな音色をひびかせながら、町の中を歩きます。
売り声は ――
  ふうーりん ふうーりん
     え ふうりん ふうりん
単純な唄詞(うたことば)ですが、実にのびやかで美しい節廻しです。とに角“涼”を売る商いですから、芸商人本人は決して暑そうな顔は出来ません。まして汗を見せるなど、もっての外(ほか)。どんなに暑くても涼しそうな顔で涼しい売り声をあげ、涼しい音色を聞かせながら商いに廻ります。そして、一寸した木蔭を見つけると荷を下し、気づかれぬようにそっと汗を拭い、一息入れると又、暑さなどどこ吹く風、涼しい声をあげて歩き出すのです。
そんな芸商人たちが行き交った京の町。
クーラーの吐き出す熱風も、コタツが町なかを走っているような車も無い時代、今よりはずっと涼しかったでしょう。
それでも大きな屋台をかついでの炎天下の商いは大変だったはずです。
昔の芸商人に想いをはせ乍ら、今日も稽古場は動いています。

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