『立春』

立春 ―― 。
素敵な響きです。
そう聞いただけで気分が明るくなります。
気候は未だ未だ去ったり来たりをくり返すでしょうが、でもすぐそこに春が来ているのです。

そんな自然の明るさに反して、塾には今、少し、ピリピリした空気が漂っています。
春の「小さな劇場」の台本の上がりが遅かったところへ、又とてもむづかしい(うちの人たちには)内容なのです。
題名は「おいたち」。お話そのものは易しいのですが、生活レベルがいささか違う人たちの人生です。
それを埋めるだけでも大変ですのに、そこへもって来て有難い「町かどの藝能」のお仕事が重なり、とに角、時間がもっともっと欲しい状態に焦立っています。
最もそれは指導陣だけで、俳優たちは案外「なるようになる」と思っているかも知れません。というと、「そんなことありません」と目に角を立てるでしょうが ―― 。

十一日には草藁生活行もあり、とに角、一分でも一秒でも、先に時間が延びてほしい思いです。

そんな時だけに、まわりの自然に一寸目を向けてみると ――

椿も水仙も咲いています。
桜の枝には春に向かって、新しい小さな芽がしっかりと太陽に向かっています。
去年の暮れにいただいた縁起ものの鉢植の紅梅は、今まさに満開、松の緑も生き生きと、笹に似た植栽の葉下には、赤い実がのぞいています。
驚いたことに梅雨に咲く紫陽花にも、新しい芽吹きがみられました。

私たちが気づかなくても、自然は立派に自分たちの生命を生きています。
目先のことばかりに追われている自分たちの小ささ ―― 。

しばらくぶりに、心が深呼吸してくれました。

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『京都の山』

京都の北東にそびえる比叡山。そして北西には愛宕山。京都はこの二つの山に守られて、長く王城の地として栄えて来た。
比叡山の中腹に位置する延暦寺は天台宗の総本山であり、「行」と「教学」の修行道場として、今も篤い尊崇の念をあつめている。中でも千日回峰行は汎く知られるところであり、十二年の間、山を降りない籠山行や、教修生を育てる行と教学の実践の場でもある。
伝教大師最澄によって、法華・天台・密教などを融合させた新しい日本の天台宗を確立した延暦寺には、今も千年の法灯が消えることなく守りつがれている。
西の愛宕山は高さでは比叡山に勝る(九二四メートル)
「愛宕」という名稱は、その地で一番最初に朝陽の当る場所を意味するそうで、そういえば各地に愛宕という山がある。
京都の愛宕山は山頂に愛宕神社があり、一般に火伏の神社として知られている。
本宮には伊邪那美命(イザナミノミコト)、そして若宮には雷神(イカヅチノミコト)が祀られている。
七月三十一日の夜には、「火迺要愼」と書かれた火伏せのお札をいただきに、多くの人が山に登る。真っ暗な山に、登山する人たちの灯火が列となって美しい。
戦時中の十二月八日には強い体と精神を養う為と、多くの児童が、愛宕登山をさせられた。
いずれも、京都に生まれ育った者には、なんらかの想い出を持たしてくれた東と西の山である。
申年の年頭、気候はおだやかであったが、世界中どこもが、ざわざわとした幕開けであった。
「動かざること山の如し」といわれるが、たしかに山は変わることなく黙って我々を見守ってくれている。東西の二つの山の他はいずれも標高が低く、「丘」だという人もある。ともあれ、いつ見ても思うのだが、京都の山は本当に美しい。なだらかで、穏やかで、いつどこにいても、ちょっと歩けば必ずどちらかに山が見える。本当に恵まれた、有難い地だと思う。
京都生まれの人間の、ひとりよがりといわれるかも知れないが、自然災害もたしかに少ない。今年も「やっぱり京都はいい」といえる年であってくれることを願おう。

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