ほんものの味を

今回は、町かどの藝能十周年記念誌に、創設者長田純先生が記載されました文章をご紹介致します。

「おにぎり」や「おむすび」が今日商品になって街中で売られている。
けれど、どれもこれも皆「おにぎり」で「おむすび」ではない。
日本中のそれを食べたわけではないが、商品としてとても「おむすび」は出来ないだろうと思う。

「おむすび」とは『結び』であって、ただ、「にぎっ」てかためたものとは違うのだ。だから「おむすび」は、両掌の中で「くる」っとまわして、「御飯つぶ」がお互いにしっかり「結び」合うように「まわしにぎり」するものなのである。
御飯と御飯がしっかり結びあってはじめて、お米のーー御飯の甘さ、おいしさが生まれてくるのだ。それを、手塩にかけ、食べる人に心を寄せかけてむすぶのである。これではじめて、心づくしの「おむすび」の味が生れてくるのだ。
この「おむすび」にする御飯ーーお米を、藁で炊きあげたら、これこそ今日なら最高の贅沢になるのかもしれぬ。併し、昔は、これが普通だった。
私も四十数年前、毎日藁で炊いた御飯をいただいたことがあるが、今もその味が忘れられない。ほんものの味だからである。
ガスや電気で炊くのは便利に違いないが、それでは「ほんもの」のお米の味は生きて来ない。一度機会があれば、藁炊きの御飯や「おむすび」を召し上がって、ほんとうのお米の味ーーほんものの味を味わっていただきたいと思う。
藁と云えば、鰹の「たたき」も藁火であぶり焼きしないと、ほんとうの「たたき」の味はないという。
藁が身を燃やして、魚の不要な匂いをとってしまうのである。流石、藁はお米の母、身を焼いてまで役に立とうとしてくれる。人はそれを「藁の匂いつけ」というがーー。
「町かどの藝能」は藁であり、藁炊き御飯の「おむすび」である。一つ一つは小さいかもしれぬが、「ほんもの」ばかりである。芯から味わっていただきたい。

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「絵本の読み聞かせを楽しもう」

桜も散り、いろんな木の新芽が生き生きと天に向かっています。
そんな自然の移り変わりを横目に見ながら塾生たちは今、いろんな絵本に向きあっています。
四月の第四週から始まる「絵本の読み聞かせを楽しもう」講座の為の絵本を選ぶためです。
自分のやりたいと思うものをまず選び、稽古をし、最終的に決定されたものが教材となります。
受講される方は毎回新しい方々ですので、別に前回と同じ絵本でもいいのですが、俳優としてはやはりいろんな絵本を自分のレパートリーにしたいのです。
一度受講された方の中で再度の受講を希望される方も多いのですが、何分受講希望の方が多くて、一度も取れてない方が優先的に選ばれるのです。
「何回申込んでもダメなんです」と、残念がって下さると申訳なくて、もっと機会をふやせればと思うのですが、なかなかそういうわけに行きません。
とに角、お一人お一人全員に、一つの絵本を最後までやれるようになっていただこうと思うと、どうしても人数に制約が出て来ます。
それでもうちの場合は受講される方々を二組に分けて、出来る限り充実した講座になるよう努力しています。沢山の方に来ていただいても中身が薄ければ、それはかえって不誠実になります。全てにいいようにと思っても、なかなか事情がゆるさないのが現状です。

間もなく取りあげる絵本も決まります。受講して下さる方全員に、出来る限り充実した時間をすごしていただけるよう、塾生一同真剣にがんばっています。
大学の授業も始まって居りますし(二つの大学へ非常勤講師で三人、出向いて居ります)、負担も大きいと思いますが、やるべき事の多いのは本当に有難いことです。

清々しい新緑の候も間もなくです。
爽やかな季節を存分におたのしみ下さい。

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