『このごろ』

日に日に秋も深まり、紅葉の便りもあちこちから届きはじめました。北の国では初雪、初冠雪の季節です。
般若林の庭の紅葉は未だ少し先、そのうちに赤・黄・朱・茶・樺、さまざまな色彩に染まります。干し柿
とはいえ、シデの紅葉はすでに始まっていますが ―― 。
そうそ、それに塾生の出入りする西入口の軒先に、渋い赤茶色の干し柿が吊り下げられています。裏庭の柿の木の恵みです。
以前にも何度か干し柿を作ろうとしたのですが、その都度ヒヨやカラスに食べられて、塾生たちの口には入りませんでした。鳥たちはとても利口で、実のなるものはいつも一番いい食べ頃に、ちゃんとついばんで食べてしまいます。「明日、丁度食べられると思っていたのに ―― 」と、いつも塾生たちがくやしがっていました。干し柿も例にもれず、いつも早々に食べられてしまいます。それでしばらくは止めていたのですが、何と思ってか、今年又、作りはじめたのです。そんな干し柿なのですが、今のところ大丈夫なようです。干す場所を南側から西側に変えたからでしょうか、鳥たちに見つかることもなく、柿たちは毎日のん気な顔でぶら下がっています。塾生の口に入る日も近いでしょう。

ところで塾生の多くは今、十一月二十八日の「京ことば講座」での京ことばのドラマに悪戦苦闘、首を上下にふったり、横にふったり、まるで人形芝居のようで見ているとおかしくなります。でもそのうちに言葉が身につくと徐々に人物の心をとらえて行きます。さしずめ今は過渡期でしょうか。
又、例年のクリスマス近くの「小さな発表会」、日どりが決まりました。
「十二月十九日(土)午後三時から五時まで」の予定です。
自分たちでやる中味を決め、自分たちだけで稽古をし、ごく近しい方々に見ていただく小さな小さな発表会です。大きな顔をして「おこし下さい」とはいえない未熟な発表会ですが、もしよろしければおこし下さい。

いつも自然に恵まれた般若林ですが、今はあまりそれを楽しむ余裕は無さそうです。でも本当はどんな時でも、いえ、そんな時ほど、自然に目を向ける心のゆとりがほしいのですが ―― 。
お忙しい皆さま方も、時には空の青さに、又澄んだ夜空に浮かぶお月さまの光に、心をお寄せになってみては如何でしょう。

 

 

 

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イラストレーターの谷本聡美様からこんな可愛いい絵葉書を戴きました。
「心からの感謝を込めて」の一文を添えられて ―― 。

挿絵

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『たそがれどきに』

暮れなずむ相国寺様の境内を歩くと、いろんなことに出会う。
六時台ともなると、家路を急ぐ人たちがせわしなく境内を通り抜けて行く。さしずめ、東門と西門を結ぶ石だたみの路が幹線道路。烏丸通りの信号が変わったのだろう、いっせいに何台もの自転車が流れ込んで来る。子供を前後に乗せているお母さん、買物を前カゴに乗せている主婦らしき人、学生、生徒、サラリーマン、いろんな人がいる。時折り、三台が並んで大きな声でしゃべり乍ら走る生徒もいる。それでも前から人が来ると、誰か一人がちょっと遅れて道を空ける。そしてやりすごすと又三列になって楽しそうに走って行く。
勿論、歩いている人も沢山おいでだ。夜の食事の買物だろうか、両手にビニール袋を下げて急ぎ足に歩く女性、重そうなカバンを手に下げて、疲れた足どりで歩く男性、OLらしき若い女性。時には弓道部なのか、弓袋を持って歩く女性もいる。その伸びた背すじが美しい。
いろんな人生が見えるようで、私にとって楽しい散策の路である。

だが、先日のこと。子供を自転車の後ろに乗せて無灯火で走っているお母さんに、年配の女性が声をかけた。「灯りつけて下さいね」 ―― 。おだやかな優しい声かけに返って来たのは ――「うるさい!ババァ」―― 。 ふり向きざまそういい捨てて走り去って行った。悲しそうに見送る女性。
こんな母親に育てられる子供は本当に可哀想だ。
そういえば以前こんな光景を目にした。赤信号で子供が立ち止った。ところが母親が、「赤信号や」という子供の言葉を無視して、「はよ行こ」と手をひぱって走って渡っていった。

子供は親を選べない。親になるというのはどういう事か、もう少し真剣に考えてほしいと思う。

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