『 九月に入って』

九月に入ってめっきり秋めいた涼しい日が続いて居ります。それにしても雨が多くて、常に傘が手放せない状態です。たまに晴れると、久しぶりの青空 ―― と、うれしくなります。

ホームページ、ちょっと怠けて居りましたが、塾の方は活発に動いて居ります。
「参の広場」と呼んでいる奥の庭も、すっかり草が刈りとられ、いつでも外で稽古が出来る状態になっています。男性陣は外でやりたがりますが、女性には今は未だあまり出てもらいたくありません。日焼けでまっ黒になったり、蚊に刺されて赤い斑点だらけになっては可哀想です。それにやっぱり女性は美しくあってほしいと思います(これ、ひょっとしてセクハラでしょうか?)

さて、秋の公演に向けての演目も、日々の稽古で序々に練られて来ています。
「鳥笛うり」さんも新たに「京の七口」をテーマにしたお話しや、「鳥・謎々」のようなお話があったり、常に進化しながら「町かどの藝能」のよさを忘れない、厳しくも楽しい稽古が続いています。他の芸能もそれぞれに、反復し乍ら序々に新たな工夫を取り入れる努力をしています。
今は俳優さんたちの努力に期待するばかりです。

さて、今年の「町かどの藝能 その四十一」が、現代教育研究会の例会として取り上げていただく事になりました。
現代教育研究会というのは昭和32年道徳教育を正規の学科として取り入れるということを文科省が決めた際、「その中身・方法は如何にあるべきか」などを研究する為に「道徳教育研究会」として発足しました。京都大学の先生方を中心に関西のほとんどの大学、更には高・中・小・幼・行政関係・企業、教育にかかわるあらゆる分野の方々を包括した一大研究会でした。間もなく「現代教育研究会」と改稱され、今も尚、真摯な研究、発表、実践のなされている権威ある研究会です。
おさだ塾では、他の世界を識る為に、又人として少しでも向上する為に、長田先生の頃から何人か、研究会に参加させていただいて居ります。
勿論、私たちは教育学会の人間ではありませんから、あくまでも「勉強させていただく為」に、そして「お邪魔させていただきます」という姿勢でのぞんで居ります。
実は一昨年も例会として取り上げていただいたのですが、今年も又、おさだ塾の「町かどの藝能」を取り上げて下さいました。碧川が少し中味についてのお話をし、そのあと観劇していただく予定です。
ともすれば内々の世界だけに生きがちな演劇界の人間としては本当にいい勉強をさせていただいている研究会です。

秋の公演まであとひと月あまり、一人でも沢山のお客さまに喜んでいただけるよう、塾生一同いよいよ熱が入ります。

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『 地蔵盆 』

きのうまで、京のあちこちに見られた「地蔵盆」の行事。
各町内毎に、子供を楽しませる映画や花火、時にはマジックなど、いろいろと趣向をこらして行われる。本来の宗教行事としての色は薄くなっているとはいえ、子供たちにとっては一寸いつもとは違うハレの日である。
夏休みが間もなく終わることを改めて思い出し、出来ていない宿題に「どうしよう」と思うのもこの頃である。残りわずかな夏休みの最後の「遊び」の時、お地蔵様を横目に見ながら、それでも子供にとっては充分楽しい行事だった。
今は、子供の数が少なくなったせいもあって、大人たちだけがテントの中に坐っているような町内も多いという。
この地蔵盆という行事、京都とその周辺以外ではほとんど無いという。
京都では、子供の頃からどこの町内にもお地蔵さんはあったし、祖母や祖父たちは必ず孫を、お地蔵さんの前で掌を会わさせ、頭を下げさせて「まんまんちゃん、あん」と教えたものだ。京都育ちの誰もほとんどが体験している「当たり前」のことが、他所ではなされていないこと、そして地蔵盆という言葉さえ知らないと聞いた時はいささか驚いた。
勿論、お地蔵さんが全くないというのではなく、集落ごとに必ず一体や二体は有ったというし、その多くは村はずれとかに祀られて、道祖神的な性格を持つものが多かったという。
それでも京都のように、町内毎に祀られ、八月の同じ時期に子供たちの為の地蔵盆として賑やかに行われるということは、ほぼ無かったようだ。
最も、地蔵信仰が平安後期に公家貴族の間で広まり、それが徐々に民間信仰として浸透していった過程を考えれば、自然な成り行きかも知れない。地蔵盆がいつごろから始まり、いつごろから普遍的な行事になったのか定かではないにせよ、子供たちのまっさらな心に神仏を敬う心の種を播き、ひいては万物に宿る生命を思いやる心を育てる一助になったことは確かである。
若い頃は、神仏に手を会わせることはカッコ悪いと思った者でも、たいがい年を重ねると、いつとはなくふっと頭を下げたくなるというのも、幼い頃の無意識の記憶のお蔭かもしれない。
釈迦入滅後、未来の世に現れる弥勒菩薩までの気の遠くなるような空白の時を埋めて、衆生済度をして下さるのが地蔵菩薩。子供との結びつきがとりわけ強い日本の地蔵信仰がいつまで生き続けられるのか、ふとそんなことを思わされた。

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