『ほんものの味を』


おにぎりやおむすびが今日商品になって街中で売られている。けれど、どれもこれも皆「おにぎり」で「おむすび」ではない。日本中のそれを食べたわけではないが、商品としてとても「おむすび」は出来ないだろうと思う。
おむすびとは結びであって、ただ、にぎってかためたものとは違うのだ。だからおむすびは、両掌の中でくる、くるとまわして、御飯つぶがお互いにしっかり結び合うように「まわしにぎり」するものなのである。
御飯と御飯がしっかり結びあってはじめて、お米の ― 御飯の甘さ、おいしさが生まれてくるのだ。それを、手塩にかけ、食べる人に心を寄せかけてむすぶのである。これではじめて、心づくしのおむすびの味が生まれてくるのだ。
このおむすびにする御飯 ― お米を、藁で炊きあげたら、これこそ今日なら最高の贅沢になるのかもしれぬ。併し、昔は、これが普通だった。
ガスや電気で炊くのは便利に違いないが、それではほんもののお米の味は生きて来ない。一度機会があれば、藁炊きの御飯やおむすびを召し上がって、ほんとうのお米の味 ― ほんものの味を味わっていただきたいと思う。
藁と云えば、鰹のたたきも藁火であぶり焼きしないと、ほんとうのたたきの味はないという。
藁が身を燃やして、魚の不要な匂いをとってしまうのである。流石、藁はお米の母、身を焼いてまで役に立とうとしてくれる。人はそれを「藁の匂いつけ」というが ― 。
「町かどの藝能」は藁であり、藁炊きのおむすびである。一つ一つは小さいかもしれぬが、ほんものばかりである。いつか一度は味わっていただきたい。

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