『 やがて八月 』


七月の京都は祇園祭一色にぬりつぶされる。鉾町以外の方々にとってはかかわりない事だろうが、それでも街中が祭礼の雰囲気になるのは、これも又、伝統の力だろうか。

そして八月。子供たちにとっては何よりもうれしい夏休みである。甲子園では今年も又、高校球児たちの熱い戦いがくりひろげられ、沢山の涙と感動を日本中に与えてくれるだろう。
又、津軽平野のねぶた祭り、山形の花笠踊り、阿波踊りなど、各地で夏祭りが華やかにくり広げられる。
レジャーに祭りにと、日本中が浮きたつ季節である。
その同じ八月、七十年前に日本は敗戦の日を迎えた。八月六日広島に原爆投下、続いて九日には長崎に。双方の犠牲者は累算三十二万五千人、そして今尚その数はふえ続けている。
海外で散った生命は二百六十万人。国内でも五十万人を超える人たちが尊い生命をうばわれた。
勿論、この数が、全てではない。何らかの形で戦争の犠牲になった人たちの実数はもっと多いはずである。
そんな戦争がやっと終わった八月十五日。奇しくもその翌十六日、京都の五山に大文字の送り火が点される。お盆の十三日に迎えた祖先の霊が、迷うことなく冥界に戻られるようにと念う心の送り火である。
偶然にもせよ、終戦の翌日に点される大文字の送り火に、戦争で亡くなった人々の冥福を祈る方は今も少なくないはずである。

レジャーに湧き立ち、華やかな行事に彩られる八月だが、秘めやかな祈りの月でもあることを、今に生きる私たちは忘れてはなるまい。

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