「緑」ラッシュ。

楓のみどり、あじさいのみどり、かしの新芽、いちょうのみどり、それについこの間まで、何もなかった宮城野の萩が、今はふさふさとみどりの若葉を風になびかせています。皐月の花のあとのみどり葉、さくらの青葉、数え切れないみどりにあふれています。
相国寺様の境内もみどりがいっぱい、雨の前などは息もつまりそうな強烈な匂いに思わず梢を見上げてしまいます。いつも見ているみどりが、それぞれに、強い個性を放って、「同じみどりは無い」という言葉をあらためて思い返しました。
あじさいは間もなく花を開くでしょう。

又、相国寺様の池の端に、大きな蓮の鉢が並ぶようになりました。ついこの間までは無愛想な泥土が見えていただけですが、今は可愛らしい葉っぱがすくすくと伸びています。
七月頃、見事な花が咲きます。それぞれの蓮に美しい由緒ある名前がついていますが、それは又改めてお知らせしましょう。

梅雨までの一寸一服のお便りです。

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五月も半ばとなりました。

「風薫る」「風光る」など、爽やかさを感じさせる風が、五月を表す言葉としてよく使われます。
又、「目に青葉、山ほととぎす初鰹」のように、新緑の季節ともいわれます。
さしずめ、五月という月を色で表すなら緑の月、青の月でしょうか。
昔から、風や雲、雨などにも、いろいろな色をあてて呼ぶことがありますね。
そこで「青風」は五月の風 ―― と思いきや春の風、「黄風」は砂あらし、「朱風」は夏の風だそうです。
では秋の風は「白風」だろうと思いましたら、漢字の用語に「白風」というのはないとのこと、あれっと思いました。
でも日本では「白風」と書いて「あきかぜ」と読んだという例もあるそうで、一寸ほっとしました。

何の為にこんなことを書くのかと思われそうですが、昔の人たちの自然への深い洞察、美しい詩情にふれるたび、心をゆさぶられることがいっぱいあります。
季節と縁遠くなりつつある都会のくらしに慣れてしまわないためにも、常に自然に目と心を向けていたいと思うのです。
それでも私たち京都に住む者は未だ未だ幸せです。東京にいるOBたちは、塾のホームページで自然の様子を目にすると、きれいな水をもらったようにほっとするといってくれますから。

今、塾では「町かどの藝能」の稽古と秋の公演の為の道具の点検・修理、新しい道具や飾りものの製作(斉藤さんが、すごくたのしいもてなしの飾りものを考えているようです。無口なので、あまり言ってくれませんが)、又、「読みの課題」、更には基本的理論の再確認など、日々いろんなことに取り組んでいます。
「絵本の読み聞かせ」講座も、もっともっと充実した、そして楽しい講座にしたいと考えています。

爽やかな五月、塾には常に前進の為の風が吹いています。

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いよいよゴールデンウィークです。

いよいよゴールデンウィークです。
日本列島は国民大移動で右往左往 ―― 。
数かずのドラマがうまれることでしょう。
京都も亦、世界の国々から、日本のあちこちから、沢山のお客さんが来られます。老舗を誇るそれぞれのお店は、おもてなしに趣向をこらしていられるでしょう。

四月、五月といえば春の祭月。
とりわけ京都は古くからの都であるだけに、大小沢山の神社仏閣のお祭でにぎわいます。
中でも五月十五日に行われる京の三大祭の一つである葵祭は今や「日本の祭」として親しまれています。
都大路に平安絵巻がくりひろげられるのも、都として千三百年余の歴史を誇る京都ならではのことです。
先日市民新聞に『近頃の京都人は葵祭の行列を「以前に見ているから」といって見る人が少くなっているが、京都が誇るお祭だから、是非見ていただきたい』と書かれていました。
同一のものを時を重ねて見続けるということは、自分の成長によって見方がちがってきます。心のあり方によってもちがいます。衣裳、道具、細かい飾りつけ等々新しい発見もあるかと思います。
「源氏物語」や「枕草子」その他の文学作品にも葵祭のにぎわいの様子が描かれていて、往時をしのぶことも出来るのではないでしょうか。

小さなお祭では京都の各地域にある氏神様のお祭です。氏子達は年に一度のお祭として大切に守っています。子供たちもお稚児さんやお囃子で参加してお祭をにぎやかにたのしく盛り上げています。
昔は氏神様の境内は子供たちのうれしい遊び場でした。いつも元気な子供たちの声がはじけて湧き上っていました。神様のおそばで、神様におまもりいたゞきながら、安心してのびのびと遊んでいる、ほゝ笑ましい情景でした。
今はというと、子供たちの影も、声もなく、氏子たちの自動車の安息所になっています。

 

いよいよ「絵本の『読み聞かせ』を楽しもう」講座がはじまりました。
皆さん、とても意欲的で勉強熱心です。ものおじせず、しっかり声を出して下さってます。六ヶ月後が楽しみです。

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ほんものの味を

今回は、町かどの藝能十周年記念誌に、創設者長田純先生が記載されました文章をご紹介致します。

「おにぎり」や「おむすび」が今日商品になって街中で売られている。
けれど、どれもこれも皆「おにぎり」で「おむすび」ではない。
日本中のそれを食べたわけではないが、商品としてとても「おむすび」は出来ないだろうと思う。

「おむすび」とは『結び』であって、ただ、「にぎっ」てかためたものとは違うのだ。だから「おむすび」は、両掌の中で「くる」っとまわして、「御飯つぶ」がお互いにしっかり「結び」合うように「まわしにぎり」するものなのである。
御飯と御飯がしっかり結びあってはじめて、お米のーー御飯の甘さ、おいしさが生まれてくるのだ。それを、手塩にかけ、食べる人に心を寄せかけてむすぶのである。これではじめて、心づくしの「おむすび」の味が生れてくるのだ。
この「おむすび」にする御飯ーーお米を、藁で炊きあげたら、これこそ今日なら最高の贅沢になるのかもしれぬ。併し、昔は、これが普通だった。
私も四十数年前、毎日藁で炊いた御飯をいただいたことがあるが、今もその味が忘れられない。ほんものの味だからである。
ガスや電気で炊くのは便利に違いないが、それでは「ほんもの」のお米の味は生きて来ない。一度機会があれば、藁炊きの御飯や「おむすび」を召し上がって、ほんとうのお米の味ーーほんものの味を味わっていただきたいと思う。
藁と云えば、鰹の「たたき」も藁火であぶり焼きしないと、ほんとうの「たたき」の味はないという。
藁が身を燃やして、魚の不要な匂いをとってしまうのである。流石、藁はお米の母、身を焼いてまで役に立とうとしてくれる。人はそれを「藁の匂いつけ」というがーー。
「町かどの藝能」は藁であり、藁炊き御飯の「おむすび」である。一つ一つは小さいかもしれぬが、「ほんもの」ばかりである。芯から味わっていただきたい。

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「絵本の読み聞かせを楽しもう」

桜も散り、いろんな木の新芽が生き生きと天に向かっています。
そんな自然の移り変わりを横目に見ながら塾生たちは今、いろんな絵本に向きあっています。
四月の第四週から始まる「絵本の読み聞かせを楽しもう」講座の為の絵本を選ぶためです。
自分のやりたいと思うものをまず選び、稽古をし、最終的に決定されたものが教材となります。
受講される方は毎回新しい方々ですので、別に前回と同じ絵本でもいいのですが、俳優としてはやはりいろんな絵本を自分のレパートリーにしたいのです。
一度受講された方の中で再度の受講を希望される方も多いのですが、何分受講希望の方が多くて、一度も取れてない方が優先的に選ばれるのです。
「何回申込んでもダメなんです」と、残念がって下さると申訳なくて、もっと機会をふやせればと思うのですが、なかなかそういうわけに行きません。
とに角、お一人お一人全員に、一つの絵本を最後までやれるようになっていただこうと思うと、どうしても人数に制約が出て来ます。
それでもうちの場合は受講される方々を二組に分けて、出来る限り充実した講座になるよう努力しています。沢山の方に来ていただいても中身が薄ければ、それはかえって不誠実になります。全てにいいようにと思っても、なかなか事情がゆるさないのが現状です。

間もなく取りあげる絵本も決まります。受講して下さる方全員に、出来る限り充実した時間をすごしていただけるよう、塾生一同真剣にがんばっています。
大学の授業も始まって居りますし(二つの大学へ非常勤講師で三人、出向いて居ります)、負担も大きいと思いますが、やるべき事の多いのは本当に有難いことです。

清々しい新緑の候も間もなくです。
爽やかな季節を存分におたのしみ下さい。

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桜が咲きました。

般若林の桜が咲きました。

中庭の若い桜も、奥庭の古木の桜も今が見頃、満開です。雨に散らねばいいがと思っています。
でも、「散ってこそ花」―― 。どなたがいわれたのか、日本人の美意識を見事にあらわす言葉ですね。

さて三月二十九日の祝賀会での「町かどの藝能」、とても喜んでいただきました。終わったあと、「うちでもやっていただけませんか」と、二・三、お話が来ているようで、俳優たちも喜んでいます。
又、佛教大学四条センターで、四月から半歳の間、「絵本の読み聞かせを楽しもう」の講座がはじまります。このセンターの受講生の皆さんはとてもレベルが高く、熱心な方が多いので、私たちも毎回、いい勉強をさせていただいています。
更に、来年度には「京ことば」の講座も新しくはじめる予定です。
「忙しいうちが花」―― そう思ってみんながんばっています。
そうそ、玄関先の雪柳も、今、満開です。

四季にあふれる般若林は本当に恵まれたところ、感謝の他、ありません。

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まもなく、春です。

春爛漫というには未だ少し早いが、木々の梢は緑に燃え立ち、桜たちはいつ開こうかとその時を待っている。
こうした自然界の春と共に、人間界の若者たちも、いよいよ社会人としての第一歩をふみ出そうとしている。胸いっぱいの希望をもって。
又、企業の方でも、若い新しい戦力の参加に大きな期待を寄せている。
希望と期待。実にいい関係である。
ところがそれが、ものの二・三ヶ月も経つと、「面接の時は明るくてハキハキしていたのに、いざ仕事がはじまると全く能動性がない。返事は悪いし、いわれた事しかしない。同じ失敗をくり返すし、一寸注意をすると黙りこむ。本当に扱いにくい」―― 。
「仕事が片づいてないのに早く帰れといわれる。それでいてきちんと仕事しろという。ろくすっぽ教えもしないで文句ばっかり。それもネチネチ、クドクド。いやになる」―― 。
こんな不協和音があちこちから聞こえてくる。
しかし、「会社に入ったら怠けてやろう。サボってやろう」そう思って入って来る新入社員はまずいない。
「新入社員が来たらいじめてやろう。つぶしてやろう」という上司もいないだろう。にもかかわらず、こんな軋轢が生じてくるのはどうしてだろう。
新人が仕事を能率よく処理出来ないのは慣れてないから。未熟だからである。自分では一生懸命やっているのだが、なかなか認めてもらえず、それどころか叱られてばかり。萎縮して動けなくなり、自信もなくなる。いきおい無口になるのも当然だろう。
又、本来、上司の注意というのは新人を育てる為の親心から出てくるものである。なんとか早く成長してほしい、戦力になってほしいと願う心が強ければ強いほど、注意する事もふえてくる。しつこくいうのは新人の態度が、解ったのか解らないのか、判らないからである。
お互いがほんの少しずつ、相手の立場を思いやれば、すぐわかることばかりなのだ。
この世の中、新入社員と上司に限らず、お互いが相手の立場をほんの少しでも思いやれば、トラブルはうんと少なくなるはずだ。
同じ人生、自分で選んだ仕事・道なら(例え理想通りではなかったとしても、最終的に選んだのは自分だから)、気持よく働き、誰とでも仲良く過ごす方が楽しいし、人生の意義もみつけられるのではないだろうか。

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ありがとうございました。

おだやかな陽差しに恵まれ乍ら、無事、春の小さな劇場「春一番今昔亭狂想曲」の公演をおえさせていただきました。
有難うございます。

いつも乍ら、温かい声援を下さるファンの方々に感謝、感謝です。

東京から駆けつけてくれた先輩、岡田千代さん、吉田幸矢さんたちの力も借りて、なんとか終演に至りました。

いつもの事ですが、「もう一週間あったら」というのが、皆の本音だと思います。同じ事をくり返す「愚」を、いい加減に解消しないと、応援して下さっている皆さまに本当に申訳ないと思います。「思う存分やれました」といえる公演を一度でも持ちたい――これが俳優たちの目指すところでしょうが、まわりのどこを見ても、なかなかそういえる人たちは少ないようです。ある意味、永遠の課題かも知れません。但し、これは俳優以外の人間だからいえることで、俳優たるもの、それに甘えてはいられません。

おさだ塾では、公演の翌日から「町かどの藝能」の稽古に入ります。二十九日に仕事を控えているからです。
公演のあと、「打ち上げ」をされるのが演劇界の慣習のようですが、おさだ塾では一切そんなことは致しません。演劇人なら今日も明日も同じ――「終わった」という時はないと、教えられて来ましたから。
こんなところが「ガンコ」で「馬鹿正直」なのかも知れませんね。

間もなく般若林では桜の花が、春の盛りを知らせてくれます。
古木ですががんばって、毎年美しい花を咲かせています。
よろしければ「お花見」におこしになっては如何でしょう。

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たぬき

今、おさだ塾には二匹の狸がいます。
とはいっても、勿論生きた狸ではありません。信楽焼の可愛いい狸です。

一匹は、
長田先生の三回忌記念の公演で、故・川谷拓三さんが演じてくれた一人芝居「狸と侍」に出演した狸です。
ラストシーンで、幕の蔭からチラッとのぞく狸がほしくて、信楽焼の狸を入手する手配を長田先生の大ファンでいらした「たねやさん」の社長様にお願いしました。
間もなく、素朴な可愛いい狸の焼物が塾に届きました。そしてその狸を「寄贈させてほしい」といって下さったのです。
安易に、いらぬことをお願いした為と後悔いたしましたが、後の祭りです。有難く、有難く、頂戴することにいたしました。
その狸は無事出演をおえたのち、今日までずっとおさだ塾の玄関でお客様を出迎えてくれています。

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もう一匹は、
昨年、甲賀市長様から贈られた狸です。
甲賀市市制十周年のお祝いに「町かどの藝能」を公演いたしましたところ、大そう喜んで下さり、臘梅の苗木と共に贈られて来たのです。
右肩にふくろうを止まらせ、左手に「町かどの藝能おさだ塾」という名札を持った、一寸モダンな愛くるしい狸君です。今は先輩の狸君と一緒に、おさだ塾の玄関を守ってくれています。

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それぞれに、想いのこもった大切な狸君たちです。
それにしてもおさだ塾は本当に、沢山の方々の温かいお心に見守られているんだなということを、いつも感謝と共に思います。
そんな沢山の方々にお応えする為にも、いい公演を持つことが、私達のやるべきことです。
今一度、全員心を新たにして、春の公演に向かいます。

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とうとう。。。。

とうとう三月になってしまいました。

とうとうといいたいくらい遅い稽古の上りに、演出陣も指導陣も青くなっています。

のほほんとしているのは俳優だけ。いつもの事ですが、ほんとうにうちの俳優さんはのんびりしています。人間はいいのですが、厳しさの持てないのは困ったものです。「温室だから」とうちを知る皆さんにいわれますが、本当にそうなんでしょうね。

そんな中、季節は刻々とすすんでいます。ついこの間まで枯れほうきのようだった桜の木に芽生いた新芽がいっせいに、しっかりと太陽に向かっています。

庭の椿も紅いの、白いの、淡色に斑に、又、一本の木にいろんな色の椿が咲き誇っています。

昨年、甲賀市様からいただいた臘梅の苗木も、少し背が高くなって来ました。ちゃんと根づいてくれるか、とても心配していただけに、嬉しさも一入です。

間もなく般若林に鶯の声が聞こえて来るでしょう。

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