いよいよ 秋です 

台風十号、十二号、十三号が矢継ぎ早やに関東、東北、北海道に、大きな爪跡を残して行きました。今まで南方海上で発生していた台風が、今回はみな近海で発生しているので、温暖化が急速に進んで来ているのではないかと、不安を覚えます。
十三号が通り過ぎた後、空の色にも、日差しにも、頬を撫でる風にも、やっと秋の気配を感じるようになりました。すでに般若林ではこおろぎと、かねたたきが二部合唱をしていますが ―― 。

おさだ塾は、来る九月二十四日(土)佛教大学四条センターでの「京ことばをたのしもう」講座の準備と、小さな京ことばのドラマの稽古に入っています。と、同時に十月十四日(金)、十五日(土)、十六日(日)公演の『町かどの藝能』(四十二)の稽古に取りくんでいます。
「京ことばをたのしもう」講座は、受講される方々が大へんたのしみにして来て下さってますが、今回で今年最後の講座になります。「京ことば」のやさしさ、あたたかさ、美しさから生まれて育てられた、京都人の気質、文化、芸術、更に「京ことば」の奥の深さ等々を、多くの方々に識っていただきたいと念っています。
『町かどの藝能』その四十二は、「蛇の目売りの新たな踊り、「ひさご売り」をミュージカル風に、「鳥笛うり」の新たなお話、「大福引」の口上等々、今までの物とは別に、形を変えたものがお目もじします。目下、俳優たちはそれぞれ芸商人として取りくんでおります。

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「町かどの藝能」の稽古をしています

毎日暑い日が続いています。今年は例年とは比べられない程の暑さを感じ、これも温暖化が進んで来ているからだろうかと不安を抱きます。

有難い事にここ般若林は緑の木立と土にかこまれていますから、よく風が通ります。建物の中に一歩入ると、ひんやりとした冷気がほてった身体を冷やしてくれます。

今から三十年くらい前 ―― おさだ塾が般若林へ移って来た頃は、
にぎやかなほどの蝉時雨で、真夏を満喫出来ましたが、どういうわけか近頃は蝉の鳴き声を耳にする事が少なくなりました。

四、五日前でしたが久しぶりに蜩の声を聞きました。ほんとうに久しぶりで、とても懐かしく思いました。ところが美しいものと思っていた蜩の声が、美しくないのです。透き通る高い声ではなく、ザラザラした雑音がまじった悪声でした。「蜩も大気汚染の影響を受けているのかな」と話していましたら、北海道の音威子府から出て来ている塾生が、北海道の蝉は高低をつけて歌うように鳴いていると話してくれました。蝉も土地によって、声も鳴き方もちがうのかと初めて知りました。

只今おさだ塾は十月十四日、十五日、十六日公演の『町かどの藝能』その(四十二)の稽古に励んで居ります。
今年は「蛇の目うり」「ひさご売り」を、今までのものとは別に新しく御覧いただきたいと考えて、稽古しています。
又、「鳥笛うり」のお話しは毎年新しくなりますし、「大福引き」の口上などもたのしくなります。
般若林が涼しいとはいっても、稽古に打ち込めばびっしょり汗が出ます。あと、一ヶ月くらいは汗を流し乍ら『町かどの藝能』の稽古に打ち込んでまいります。

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「 鏡 」

我が塾にはたくさんの鏡がある。
全身が写せる大きな鏡から、顔だけが写る小さなのまで、さまざまである。稽古場は勿論、廊下を歩いていてもどこかに自分の姿が写っている。
こういうと、「なるほど、さすが劇団ですね」と人はおっしゃる。たしかにこれは、俳優たちが常に自分の姿を見て欠点を直すのに役立つ。が、本当は単に俳優だけの為ではないのである。
人は鏡を見る時、必ず心に何かを感じる。「あ、いやな顔してる」「つかれた顔だな」「軽薄だな」「気むずかしい顔して」などなど ―― 。
何かで腹を立てている時、鏡を見ればそこには怒った険しい顔が写っている。嬉しい時には生き生きとした明るい顔が写っている。鏡は形だけでなく、心をも正直に写しだしてくれるのである。
人間の心は実にさまざまに動く。鏡を見て、はっと気づかされて恥かしい思いをすることもしばしばある。又、いつもこんな顔でいられたらと思うこともある。そしてどんなに腹を立てている時でも、鏡の中の自分をじっと見つめていると次第に心が落着き、平静を取り戻すことが出来る。「鏡を見て自らを知り、知ることによって為すべきことがわかる」 ―― のである。
かつて、或る下町の、いわゆるドヤ街の真中にある診療所での話だが、表のガラス戸がしょっちゅう割られるのだ。喧嘩と、酔っぱらっての上のことがほとんどだが、あまり度重なるので困り果てた女医先生が考えた。そして思い切ってそのうちの一枚を鏡にしてみたのである。すると不思議なことに他のガラス戸は相変らず割られる中で、その鏡の戸だけはまるでぬけ出したように、ただの一度も割られることがなかった。

古代、鏡は信仰の対象であったが、現在(いま)も尚、何かを教えてくれている。

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「 蓮池 」

相国寺様の蓮池は今まさに満開です。
池のまわりの生垣を 今年はうんと背を低くして下さったので とても中が見やすくなりました。
未(ひつじ)草といわれる睡蓮のように、午後二時過ぎには花を閉じてしまいます。蓮の花をたのしむには何といっても朝が一番いいようです。
只、今年は例年より鉢の数が少ないように思います。気のせいかも知れませんが ―― 。

今年の梅雨はどうなのでしょう。これからも降るのか それともこのまま上ってしまうのか。出歩く人にとっては晴がいいのでしょうが、やはり降る時には降らないと、いろいろと差しつかえが出てきます。

その昔、物を売る前に まずは芸能でお客さまにたのしんでいただき そののちに商いをする、そんな商人さんが沢山居りました。私どもおさだ塾が 毎年秋に公演して居ります「町かどの藝能」の主人公たちです。その芸商人たちは、梅雨の長雨にふりこめられても、決して恨み言をいいませんでした。
この雨のお陰で田に水が満たされ、草木が夏の暑さに耐えられるのだ。これも天の恵みの雨 ― と受けとったのです。
暑い、寒いと ブツブツいい乍ら、クーラーやヒーターにたよる現代とは全くちがった、大自然を敬い感謝の心を忘れなかった昔の人たち。そんな心を少しでもわかろうと、俳優たちは努力しています。
稽古場にクーラーはありません。うんと汗をかいて稽古をしたあとの、冷い麦茶のなんともいえない美味しさ ― 。旅の途中、谷川の冷い水で喉をうるおしたであろう芸商人に想いを馳せるひとときです。

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「萩の餅」

般若林の庭に宮城野の紅い萩の花が咲きました。はぎ2
未だチラホラですが、今に枝いっぱいにこぼれ咲くことでしょう。
この萩は、もう随分前に月心寺の村瀬明道尼様からいただいたものです。
はじめは紅と白の両方があり、白い萩はのびのびと、枝葉を伸ばし、花をつけ、紅い萩はひっそりと、遠慮勝ちに咲いていました。
それがいつの間にか白い萩が無くなり、紅い萩だけになってしまいました。

いつ、どのようにそうなったのか、誰にもわかりません。これも自然界の不思議なのでしょうか。

皆さまよく御存知の「お萩」(もち菓子)について。
白い御飯に紅い小豆をつけたこのもち菓子の様子を、昔の人たちは「萩の花のこぼれ咲きのようだ」と御覧になりました。そしてその餅菓子に「萩の餅」と名づけました。
一方、御所づとめの女房方は、たいそう言葉遊びがお上手で、ものの名前の上に「お」をつけ、下半分をとるということをお始めになりました。「ざぶとん」に「お」をつけて下半分「とん」を取れば「おざぶ」、「せんべい」に「お」をつけて下半分「べい」を取れば「おせはぎ1ん」のように。
「萩の餅」もこの方式で上に「お」をつけ、下半分を取り「お萩」になりました。
牡丹の花のさまから名づけられたといわれる「ぼた餅」ですが、これは「おぼた」とはいいませんね。
言葉というのは面白いものです。

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「季の魚」

まぶしい初夏の日差しに銀鱗をきらめかせて、山間の清流に遊ぶ若鮎の姿。優雅でさえあるその姿は、美しい季節の風物詩である。
鮎は前年の冬、川で孵化するとすぐに海へ下る。そして冬を海で過し、翌春三・四月ごろ、水がぬるみはじめると待っていたように川を遡って来る。天敵や公害や、さまざまな障害にはばまれながら、それでも懸命に生まれ故郷の川へ還って来るのである。そしてふるさとの川で一夏を過し、秋、産卵を終えると再び海へ下って行く。
多くは一年で生命を終えるが故に、年魚とも呼ばれる鮎は、薄命の魚故にその一刻(ひととき)の生を最高に美しく、燃焼して生きるのであろうか。
そういえば【あゆ】の語源とされる「零(あ)ゆる」は、脆き生命の意という。
又、鮎という字は本来「なまず」を指し、「あゆ」ではないという。「あゆ」と「なまず」 ― これほど姿形の違う魚も珍らしい。それが何故、「鮎 =あゆ」になったのか。
一説によると神功皇后が【あゆ】を釣り、戦の勝敗を占ったところから「占魚= 鮎 = あゆ」になった(和訓栞)とか、又、鮎(ねん)は年(ねん)に音が通ずる故(東雅)とする説など、さまざまである。
例年のことながら長雨が続くと川は増水する。集中豪雨ともなれば荒れ狂う濁流となって、谷を、野を、町をかけ下る。
この時、鮎たちは狭い岩陰に身を潜め、お腹をぴったりとつけて流されまいと必死に耐え忍ぶ。生への本能とはいえ、あの細い身体で激流にさからうのはどれほど苦しいことか。
六月一日には多くの河川で鮎漁が解禁となる。長雨と共に鮎たちにとっては苦難の季節となる。
釣り人たちよ、どうか戯れに生命をもてあそび給う勿れ。あらゆる生命に、愛と感謝を捧げて ― 。

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「京ことば」は心和む

去る五月二十八日(土) 佛教大学四条センターでの「京ことばをたのしもう」講座第一回は、おかげさまで無事に終えることが出来ました。出席率も高く、ほぼ満席で有難いことだと、感謝して居ります。
受講生の中に、昨年十一月のプレ「京ことばをたのしもう」に出席された方や、一昨年まで四年続きました「絵本の読みきかせをたのしもう」講座に来て下さった方々も来られてなつかしく嬉しく思いました。

受講生の方々は、京ことばの誕生から歴史、京都人の情(こころ)を育て上げた趣ある奥の深い内容に熱心に筆をとられ、京ことばをテーマにした小さなドラマには、軽い笑い声をあげられて、たのしんでられました。「次も必ず」と沢山の方からお声をかけていただき、又 センターの方にも「皆さんいいお顔で帰って下さって、本当によかったです」と喜んでいただきました。心をゆるめず引き締めて、七月の第二回、九月の第三回に臨んでいこうと思っています。

前回に書きましたが
六月一日より、『町かどの藝能』の一般参加募集を始めました。
十五才から三十五才までの健康な男女若干名です。
おさだ塾のプロの俳優と一緒に、江戸時代の京の都の芸商人として、四ヶ月間稽古を積み重ねて十月の公演に参加していただくのです。
指導料はいただきません。
六月三十日の締切までに 履歴書に写真を添えて おさだ塾へお送り下さい
※送り先は、ホームページの[問い合わせ]を御参照下さい
お問い合わせがあれば、くわしくお話します。
貴重な体験です。
人として心やさしく豊かになります。
人生への歩みに自信がもてます。
どうぞ臆せずお問い合わせ下さい。

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『 境内にて 』

相国寺様の池に 蓮の花が咲きました。久しぶりに訪れたので、とてもうれしく、なつかしく、季節の推移が変わりなく動いているのを感じました。
白い花ばかりでしたが、蕾の先にほんのり紅ののぞく蓮がいくつかありましたから、このページを御らんいただくころにはきっと紅の蓮も咲いてくれているでしょう。

塔頭の植えこみのそばでしゃがみこんでいる少女をみかけました。高校生でしょうか、制服のような清楚な姿です。何をしているのかと思って声をかけますと「ウラジオストックというところでされるんですけど、舞台に落ち葉を撒きたいというので、それを集めています」―― 。悪い事を見つかったかのようにおずおずと、伏目がちに答えてくれました。
友人か 先輩か 先生か、兎に角誰かが 舞台でやる仕事の手伝いをしてあげているのでしょう。塔頭の側はけっこう掃除が行き届いているので、それほど落葉は多くありません。それを丹念に、ぽつぽつとひろい集めているいじらしい姿に心惹かれました。
「うちに来ればひょっとすると掃き集めた落葉が沢山あるかも知れない」と思いつき、戻った時にはもう少女の姿はありませんでした。
ひょっとして妖精?― と思わされるような不思議な出会いでした。

相国寺様の境内は、やはり魅力的なところです。

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『町かどの藝能その42の準備がはじまります』

夜来の雨が上った般若林の庭は、洗われたように清々しくさわやかになります。太陽の光を受けた草木は、生きかえったように輝いています。あちこちに植えられている紫陽花の蕾が大分大きくなって来ました。近畿地方の梅雨入りは六月五日頃だそうで、その頃には雨にぬれた花が色あざやかに咲いてくれている事でしょう。

さて、おさだ塾は六月に入ると、秋の『町かどの藝能』の公演準備に入ります。その一つに一般参加の募集があります。一般の方々に応募していただき、おさだ塾の俳優と一緒に稽古に参加していただいて、江戸時代(享保十年)の京の都の芸商人(芸をもって商いをした商人)として出演していただくものです。
締め切りは六月三十日。高校生から三十五才までの健康な男女若干名です。
七月から稽古に入ります。指導料はいただきません。くわしくはおさだ塾へお問い合わせ下さい。電話075(211)0138
今までに参加された方々の言葉は「これまでの人生の中で、これに勝るものはないだろう」「今日まで生きてきた中で最高のものをいただいた」「これほど中身の濃い生活を送ったのははじめて」等々 ―― 。
参加される方々に、稽古をしてもらう中で、一人で着物が着られるようになる。京ことばが話せるようになる。江戸時代を識ることが出来る。日本人として、日本家屋での立ち居振舞い礼儀作法が出来るようになる ―― 。等々が身につきます。
如何でしょう、一度参加されませんか。
「京ことば講座」もあと一週間 ―― 。京ことばのドラマに、相変わらず皆苦労しています。京ことばのやさしさやわらかさ、美しさはほんとうに難しいです ―― 。

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『京ことばを楽しもう 』

ゴールデンウイークが終り、誰もみな、平常の生活にもどり、ほっとした処でしょうか ― 。

おさだ塾は、いよいよ始まる「京ことばをたのしもう」講座第一回(来る五月二十八日(土)午後三時半より。 於:四条烏丸 佛教大学四条センター)の為の稽古に入っています。講演の中に 京ことばを使っての短い小さなドラマが五本あるからです。男女六人の俳優がとり組んでいます。小料理屋の女将と出入りの植木屋とのやりとり。月命日のお詣りに来た僧侶と檀家の奥さんの会話。定年前の熟年夫婦のユーモラスなおしゃべり等々 ― 。
ドラマは短くても、俳優たちは生きた人間の生活をしなければなりません。それぞれが、それぞれの人物の生活をいろいろと踏み込んでいます。いろんな人生を歩めることは俳優にとって有難いことなので、稽古にはげんでいます。
更に、京ことばの微妙な高低の変化ややわらかな音がむずかしくて、何度も何度もくり返しています。

如何なりますことか、現在は不安と楽しみが去来する毎日です。

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