『町かどの藝能その42の準備がはじまります』

夜来の雨が上った般若林の庭は、洗われたように清々しくさわやかになります。太陽の光を受けた草木は、生きかえったように輝いています。あちこちに植えられている紫陽花の蕾が大分大きくなって来ました。近畿地方の梅雨入りは六月五日頃だそうで、その頃には雨にぬれた花が色あざやかに咲いてくれている事でしょう。

さて、おさだ塾は六月に入ると、秋の『町かどの藝能』の公演準備に入ります。その一つに一般参加の募集があります。一般の方々に応募していただき、おさだ塾の俳優と一緒に稽古に参加していただいて、江戸時代(享保十年)の京の都の芸商人(芸をもって商いをした商人)として出演していただくものです。
締め切りは六月三十日。高校生から三十五才までの健康な男女若干名です。
七月から稽古に入ります。指導料はいただきません。くわしくはおさだ塾へお問い合わせ下さい。電話075(211)0138
今までに参加された方々の言葉は「これまでの人生の中で、これに勝るものはないだろう」「今日まで生きてきた中で最高のものをいただいた」「これほど中身の濃い生活を送ったのははじめて」等々 ―― 。
参加される方々に、稽古をしてもらう中で、一人で着物が着られるようになる。京ことばが話せるようになる。江戸時代を識ることが出来る。日本人として、日本家屋での立ち居振舞い礼儀作法が出来るようになる ―― 。等々が身につきます。
如何でしょう、一度参加されませんか。
「京ことば講座」もあと一週間 ―― 。京ことばのドラマに、相変わらず皆苦労しています。京ことばのやさしさやわらかさ、美しさはほんとうに難しいです ―― 。

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『京ことばを楽しもう 』

ゴールデンウイークが終り、誰もみな、平常の生活にもどり、ほっとした処でしょうか ― 。

おさだ塾は、いよいよ始まる「京ことばをたのしもう」講座第一回(来る五月二十八日(土)午後三時半より。 於:四条烏丸 佛教大学四条センター)の為の稽古に入っています。講演の中に 京ことばを使っての短い小さなドラマが五本あるからです。男女六人の俳優がとり組んでいます。小料理屋の女将と出入りの植木屋とのやりとり。月命日のお詣りに来た僧侶と檀家の奥さんの会話。定年前の熟年夫婦のユーモラスなおしゃべり等々 ― 。
ドラマは短くても、俳優たちは生きた人間の生活をしなければなりません。それぞれが、それぞれの人物の生活をいろいろと踏み込んでいます。いろんな人生を歩めることは俳優にとって有難いことなので、稽古にはげんでいます。
更に、京ことばの微妙な高低の変化ややわらかな音がむずかしくて、何度も何度もくり返しています。

如何なりますことか、現在は不安と楽しみが去来する毎日です。

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『 鯉のぼり 』

五月に入りました。と、同時にゴールデンウイークに突入 ― 。京都の街は、以外と、自動車の数が少なく、静かです。
こゝ、般若林は自主稽古に来た塾生の「声出し」の稽古の声が聞こえるだけで、近隣の中学、高校は休みなので、あたりは静かです。
般若林の玄関の前に植えてある花菖蒲が四輪蕾を開きました。細い軸の先に、深い紫色の花が生きいきと咲いています。はなやかなさつきの花の色とはちがって、花菖蒲の紫は、しっとりとおちついた気分にしてくれます。こゝしばらくは塾へ来られるお客様の心を安らかにしてくれることでしょう。
五月といえば「端午の節句」― 。
晴れ上った五月の空に鯉のぼりが泳いでるのを以前はよく見かけましたが、近頃はほとんど見なくなりました。時折マンションのベランダに子供さんの手作りでしょうか、可愛らしい紙で作られた鯉のぼりがかけられてるのを目にします。端午の節句は男の児のお祭り ― 。鯉のぼりを上げることで、我が子の健康と成長に感謝し、ゆく末ますますの健康と成長、出世を念った親心は大切にしたいものです。

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『 花繚乱』

今年も般若林の桜が咲いてくれました。unnamed-2
少し盛りをすぎていますが、それでも精いっぱい、花房をつけています。ずい分年老いた桜だと思うのですが、痛々しいほど美しく、花の下に入ると世界が変わります。
そのすぐそばで柿の木が、「私にも春が来てるんですよ」というように、緑の可愛い新芽をつけています。枇杷の木も、小さな実をつけはじめています。unnamed-4
他に、無花果、花梨、梅、橙に似た木など、実の成る木が沢山あります。自給自足を是とする禅寺故にでしょうか。

今も、桜の木には沢山の小鳥が遊びに来て蜜を吸ったり花とたわむれたり、春を謳歌しています。椿も可哀想なほど沢山の花をつけていますし、しばらく咲かなかった鉢植えの白椿も咲いてくれました。雪柳もふさふさとゆれています。
未だしばらく、般若林は春満開です。unnamed

 

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『 阿 吽 』

相国寺境内にある八幡宮に、時折りお参りする事がある。といっても、わざわざにではなく、通りすがりにといった方がふさわしい参り方である。
社殿の前にはお決まりの狛犬が二頭、「阿」と「吽」が向いあって座っている。阿は口を開け威嚇しているようだが、なんとなく愛嬌があってむしろ可愛らしい。吽は名のとうり、口をギュッと結んでこちらをじっとにらみつけている。如何にも「しっかり者」の感がある。眺めているうちに、ふと、かつて恩師が飼ってられた秋田犬を思い出した。
当時は未だ珍しかった真っ白の毛並みで、頭頂部に丸みのある如何にも秋田犬らしい美しい顔の母犬と、その子供(雄)の二頭である。だいたい秋田犬は吠えないといわれているが、たしかにこの母犬は吠えたことがない。優しい顔と、もの静かなふるまいの、実に落着いたたのもしいお母さん犬だった。
いつの夏だったか、彼女が流しのそばの三和土(たたき)の上にお腹をぴったりとつけ、少しでも涼しいように両手両足を広げて寝そべっていた。そこへ、棚の上のものを取ろうとして、うっかり落としたアルミの鍋が、ガンガラガンガン ―― と。彼女の頭にスポンと、かぶさった。だが彼女はおどろいた風もなく、鍋をかぶったまま、じっとしている。その姿に皆大笑いしたが、それにしても度胸の坐った犬だった。
或る時、母子二頭を連れて運動に出かけた時、子供の犬(八カ月くらい)が何かの拍子に吠えた事があった。途端に母親が子供の背中をガブリと噛んだ。「お前は秋田犬だよ。ほえてはいけない」とたしなめるように。とたんに子供も黙り、恥ずかしそうに(そう見えたのだ)母によりそった。

以前に聞いた話だが、家に泥棒が入った時、その家の秋田犬はじっとその様子を見ていて、泥棒が荷物を持って塀を越えようとした瞬間、ガブリとその足に噛みついて、泥棒を引きずり下した。そしてそのままじっと泥棒の前に座って軽くしっぽをふっている。泥棒がもう一度逃げようと動きかけると又、脚をくわえて動かさない。何度かそんな事をくり返しているうちにとうとう夜が明けて、起きて来た家の人がびっくりしたというのだ。
真偽のほどはとも角、「さもありなん」と思える秋田犬らしいエピソードである。

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『 感謝 』

第二十九回春の小さな劇場「おいたち」公演、無事おえる事が出来ました。
ありがとうございました。
少し寒い日はあったものの天候に恵まれ、お客様に御迷惑をかけずにすみました。最終日も夜は雨予報でしたので心配しましたが、開演と同時に降り出した雨が終演の時には丁度止んでいてくれて、本当に有難いことでした。日頃の皆さんの精進がいいからとひと様はいって下さいますが、とてもとてもそんなことはいえない稽古状態でした。でも東京からかけつけてくれた岡田千代、吉田幸矢両先輩にも助けられ、なんとか、なんとか乗り切れました。子供たちの素直な心ばえに助けられたのもたしかです。
お客さまも好意的なお方が多く、それでいい気にならないよう、全員心を引き締めて居ります。

改めまして
御来場下さったお客様、そしてお力添え下さいました皆様、全ての方々に心より感謝申し上げます。本当に有難うございました。どうぞこれからも厳しい御叱正を賜りますように。

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『限りない未来』

春の小さな劇場「おいたち」の稽古は着々とすすんでいます ―― と、いえないのが残念です。
今年の舞台には子供たちが三人、出演します。「久山和花」「則武光」「稲生瑛介」の三人です。
「和花」ちゃんは、五年前の「通りゃんせ」の舞台にも出演してくれました。その時は未だ五才で、劇団のお兄さんお姉さんたちにいわれるままに動いているだけでした。でも今回は違います。自分の意志をしっかり持った、美しくて知的で、心豊かなとても素敵な少女に成長してくれていました。image1
「光」君は小学三年生。舞台ははじめてですが、とても豊かな感性を持った明るい少年です。今、ちょっとしたリハビリに通っているのですが、それをお休みしてでも稽古に行きたいといって、お母さんを困らせることもあるそうです。これから先もどんどん成長してくれると期待しています。
「瑛介」君は一昨年の「逆転満塁ホームラン」に出演してくれた「颯士朗」君の弟です。未だ幼稚園の彼にとってはむづかしい稽古内容だと思いますが、それでもあきずに、(時々ねむくなってあくびをしながらも)けなげにがんばってくれています。

いつも思うのですが子供たちというのは本当に無限の可能性を持った存在です。一緒にすごせるこの稽古期間、沢山の示唆を大人たちに与えてくれています。今年の舞台も、きっと彼や彼女たちに支えられて、いい公演になるでしょう。

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今週末は

2016春チラシ-1

2016春チラシ-3

 

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『春の気配』

久しぶりに雨上がりの相国寺様の境内を歩いてみました。
何となく春のもやもやとした気配があたり一面に漂っています。
とはいえ、植込みの緑の木々の葉っぱの色は今一つあざやかではありません。ひょっとすると殺虫剤か何かを撒かれて、葉の色が悪くなっているのでしょうか。
冴えない葉の色にひきかえ、あちこちの木々に芽吹いた新芽はずい分力強くなりました。
桜の木には何となく淡いピンクのもやがうっすらとかかっているようで、不思議です。
池の水も、心なしかぬるみはじめたようで、時々鷺の鋭い声がひびきます。そのうちに亀たちが、ヒョコンと首を出すでしょう。
夏には美しい花を咲かせる蓮の鉢は、未だ無表情な泥土におおわれています。
特にこれといった変化があったわけではないのに、それでも何となく春の気配を感じるのは、やはり人間も自然界の一部だからでしょうか。
未だあちこちに水たまりの残る境内には、あまり人影がありません。でももう少し時が経って夕暮れどきともなると、仕事がえりの人たちのあわただしい足取りで境内は俄かに「人」の世界の色が濃くなります。生き生きとした人の生活(くらし)の営みの力に、境内が活気づくのです。ただスピードを出して走る自転車には、いささか困るのですけれど ―― 。

それまでのほんのわずかな一ときを、もう少したのしんでみましょう。

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『京ことば』

日本は勿論、世界の多くの人々に愛され憧れられる京都。海外から訪れる方もどんどん多くなっているようだ古くから「旅の味の第一は その土地の言葉」だといわれるが、今の京都には美しい京ことばが聞ける場所がほとんど無い。こんな状態で「どうぞおいで下さい」といっていいのだろうか。

京ことばの元が「御所ことば」だということは誰もの知るところである。では、雲上人である公家や女房方(御所づとめの女性)の言葉が、どうして庶民の言葉になったのか。
簡単にいうと、応仁の乱(1467~1477)で京の町が戦乱にさらされ、多くの人が住む所を失った。お公家さん方も例外でなく、行き場を失って、やむなく町の中へ散らばっていった。
町衆にとって今まで見たこともないお公家さんは珍しい。しかもお公家さんのなさること、話される言葉、何もかもが自分たちと全く違う。珍しがって、面白がって、町衆はすぐにその真似を始めた。中でも言葉は誰でも簡単に真似られる。町衆はお公家さん方の言葉を得々としゃべり、楽しんだ。そのうちに、その言葉を用うことで物事がうまく円滑にすすむことに気がつきはじめた。更に人間関係までもが今までよりずっと穏やかに和やかになって行く。喜んだ町衆はますますその言葉を用って、いつか自分たちの言葉にして行った。
一方、お公家さんたちの一部は淀川を下り、浪速へとおいでになった。着いた所が船場である。御存知のように船場は商人の町である。とはいえ未だその頃は商道というか 商人としてのあり方、又、お客へのもてなしなども確立されていなかったらしい。そこへお公家さん方がおいでになったのだ。
商人たちはお公家さん方の美しい立ち居ふるまい、優しい言葉に目をみはった。そしてこれこそが商人としてお客をもてなす最高の態度、言葉だと確信し、すすんでお公家さん方を受け容れ、もてなし、どんどんその態度、言葉を取り入れていった。
そしていつか「船場の嫁は京娘」ということになり、沢山の京娘が船場へ嫁いでいった。
NHKの今の朝のドラマの主人公が京都から浪速の商人に嫁いでいったのもそういったならわしの一端であろう。
そんな京ことばが、今、本家の京都でどんどん消えていきつつある。このままほうっておいていいのかどうか ―― 。
一考も二考もしなければならない時である。

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